「生理でサボれるのは3日まで」
中学時代、体育の授業でのルールだ。
生理を理由に体育の授業を休むことは許されず、水泳の授業のみ自己申告から3日間の休みを認められていた。
しかし実際は休みなどではなく、炎天下の中、プールサイドの草むしりやランニングをさせられていた。
「3日もたてば出血は治まる、プールにも入れる。入らないのは生理と嘘をついてサボるためだろう!」という理屈で。

私が意地でもプールを休まなかったことで…。今になって後悔を

当時私は水泳を習っており、日常的にタンポンを利用していた。出血していてもプールに入るのに抵抗が無かったので、そんなルールには無頓着だった。
生理痛も出血も少なく(排卵障害で無排卵だったからだと後に判明)、プールの授業は休んだことがない。
皆もタンポンを使って入ればいいのに、とさえ思っていた。

タンポンを使用しても軽減されるのは出血だけ、痛みや体調不良は改善しない、出血量も体調も大きな個人差がある――。
情けないことに、そんな当たり前のことを知ったのは、二十歳を過ぎてからのことだった。
生理が重くなり、耐えきれず婦人科に駆け込んだことで、生理の仕組みや個人差のことを改めて知ることができたのだ。

中学時代……あの頃は悪いことをしたな、と今になって後悔している。
私が意地でも休まなかったことで、生理中でも運動はできる、休む必要なんてない、という追い込みを強化してしまったかもしれないからだ。
たまには休もうかと思ったこともある。しかし、「あいつ一回も休まないよな。生理まだなんじゃね?」なんて男子のからかいを耳にし、休んだイコール生理が来た、とばれるのが嫌で結局一度も休めなかった。

痛みが辛かったら痛み止めを飲んでいい、婦人科に行って診てもらおう、生理は低用量ピルでコントロールできる。漢方もある。
そんな大切なことを、なぜ何一つとして学校でも家庭でも教えてもらえなかったのだろう。
性病や体型の変化、妊娠のリスクを知るのも大切だけれど、その前に自分の体を労るという根本的なことを教えてほしかった。

母も私より何十年も長く、生理で辛い思いをし続けてきたのだ

「生理は病気じゃない、生理ごときで痛み止めなんて飲んじゃだめ!」と言った母を、私はずっと恨んでいた。
あなたのせいで私は余計な痛みに苦しんだ、と。
だけど、母が年を取り、「やっと閉経したわ~。生理が無いのって本当に快適!あ~嬉しい。年を取るのも悪いことばっかりじゃないのね!」と喜ぶ姿を見て気がついた。
母もまた、生理で辛い思いをし続けてきたのだ。私よりも何十年も長く。

生理痛は我慢しなくていい、生理が辛いという理由で婦人科に行ってもいい、生理は薬で楽にできる。そう教えてくれる人が母にもいたなら……。

痛いのが当たり前? なぜ女性の体はこんなにも雑な扱いのままなのか

生理に限らず、不妊治療の現場でも痛みはつきもので、耐えるしかないものが沢山あることを、大人になってから知った。
「耐えられる痛みですから麻酔はしません、痛み止めも使いません」
私にとってもはやお馴染みの言葉である。
耐えられるかどうかは私が決めることでは?あなたに私の痛みが分かるの?そもそも、耐えられるレベルだからって痛みを放置されるの、おかしくない?
麻酔はできなくても、気休め程度の痛み止めくらい使ってくれてもいいのに。

私がしつこく「麻酔ないんですか?」と聞く度に、
「そういうものですから。皆さん耐えられてますから。そんなに大袈裟にしなくても…生むときはこの何十倍も痛いですよ?」
と、返される。
出産の痛みを比較に出されたら、黙るしかない。出産を比較に出すのは卑怯ではないか。
そもそも、なぜあんな激痛を耐えなければならないのだろう。「生んだらすぐ忘れる、母親なら耐えられる痛み」と、経験者の女性だけでなく、医者さえも口を揃えてそう答える。

なぜ?生理も婦人科治療も出産も、なぜ痛いのが当たり前なの?なぜ耐えられるはず、耐えるべき、なの?
痛みに耐えてこそ命を生み出す神秘や感動を得られる。幸せな痛みなのよ!と言うけれど、痛みがなくたってそれらは十分感じ取れるはず。
取れる痛みは徹底的に取りたい。女だから母親だからって痛みに耐え続ける人生なんて嫌だ。
そのくらいの痛みは耐えるべき、耐えられるのに休むのはサボり、なんてルール、誰が決めたんだろう。

どうすれば破れるのか具体的には思い付かないけれど、今すぐにでも破りたい。ぶっ壊したい。
まだ生理と闘っている先輩たちのため、これから生理と闘っていく後輩たちのためにも。