あのルールを破れたら、そう思い出したって仕方がない事を、私は時々思い出し、考えてしまう。

顧問は黒縁眼鏡がかかった丸い鼻をかきながら、首をかしげた。
「うーん、モデルルームみたいだね」
写真部の部室の一角。校舎の中でも隅の方に縮こまる様にあったその部室は、古びたソファーとテーブル、そして古いパソコンと印刷機が置いてあるだけだ。そのパソコンの目の前に置かれたパイプ椅子に顧問は座り、L判の小さな写真を眺めていた。

写真にはとある教室の様子が映し出されている。その中には夕暮れの中、ただ机と椅子が整然と並ぶ様子があるだけで、そこに映る人物も居なければ目を惹く様な何かがあるわけでは無い。
それは、先ほど私がデジカメで撮った写真であった。
「たとえば人物とか、風景でもいいけど、何か撮りたいものに標準を置きながら撮ると良いかもね」
「はぁ……」
私はつい、炭酸が抜けた様な力ない返事を漏らした。

部長は前年金賞、後輩は期待の星。私は一度も賞を取ったことがない

高校3年生になったその年の夏。恐らく写真部としては最後の活動になる高文連への出場に向けて、準備を進めていた。
我ら写真部にとって、高文連とは年に一度の一大イベントである。地方ごとに他校からたくさんの写真を撮る高校生が参加する。皆が選りすぐりの写真を選び、賞が取れれば高文連発行の雑誌に掲載、賞が何も取れなくても小さな展示場に1か月の間出場者全員の写真が飾られる事になる。

我が写真部には10名程の部員しかいなかったが、同期である部長は前年の高文連で金賞を取っていた。部長は、非常に優秀な人だった。写真に関する知識は誰よりも詳しかったと思う(もしかしたら顧問以上だったかもしれない)。唯一部員の中で自前の一眼レフを持っていたのも、部長その人だけであった。
また私より2つ下の後輩も、写真に関しては初心者であるにも関わらず、彼女の映した写真はハッと人の目を惹く様な魅力があった。今回高文連は初出場だが、期待の星であった。
一方私はどうかというと。
残念ながら、一度も写真で賞を取った事はない。

確かに美しいと感じ撮りたかったものは、酷く平凡な写真にしかならない

火曜日の放課後、その日は写真部の活動日である。
各々が好きな場所に勝手に赴き、あるいはチームを組んで協力しながら写真を撮る。私は校舎から出てすぐの場所で、棒立ちになりながらデジカメの撮影履歴を確認していた。
私には明確に撮りたいものがあった。
それは空気だ。

その場に流れる空気。それは例えば誰も居ない教室に、懐かしく、どこか寂し気に流れる涼し気な空気。もしくは夕暮れの中に感じる、鮮烈な赤とこれから訪れる夜の予感を感じさせるささやく様な空気。
空気とは、私にはその場を占める見えない何かの息遣いの様な気がしてならない。その正体を是非とも掴みたい。そんな衝動が私にはあった。そしてその正体を掴むには、写真が一番手っ取り早いと、当時の私は思っていたのだ。
その日は空の写真ばかり撮っていた。私がその時確かに美しいと思って撮った空の写真だ。
しかしカメラの小さなデジタル画面には、酷く平凡な青空の写真が並び、それはまるで国語辞書の中に空”という味気ない文字が並んでいるのと大して変わりはなかった。

部長と後輩の写真の下に貼られたシールと、枠からはみ出せない私の写真

高文連の準備も佳境に差し迫ってきた頃だったか。ある時私と例の部長は並んで廊下を歩いていた。
ふと部長が立ち止まり、廊下に飾られた数枚の写真を眺める。
それは今年卒業していった写真部の先輩方の写真であった。卒業生がその年の高文連に提出した写真、必ず廊下の一画に飾られるのだ。

しばらく写真を眺めたのち、部長は呟いた。
「なんかさ、先輩だけどすっごい口出ししたい事がいっぱいあって、むず痒くなるんだよね」
私も一緒に部長が見ていた写真を見る。そこにはただ幼い兄弟が楽し気に笑った写真があるだけで、それ以上の感想は湧かなかった。

その年の秋ごろ、大学受験真っただ中であったがそれら勉強を放棄して、私たち写真部は高文連の会場に向かった。
展示場には他校の写真部員たちが撮った写真が、狭い間隔で壁に飾られている。

その一画には私たちが撮った写真が飾られており、部長が撮った写真の下には“銀賞”のシールが、期待の星だった2つ下の後輩の写真の下には、“特別審査賞”のシールが貼られていた。
私の写真は、その隣で壁に馴染むように無印の状態で飾られていた。
「もっと枠からはみ出せればいいのにね」
最後、顧問にはそういわれた。

自分が決めた傲慢なルールを破れなかったことが一番の後悔

今思い返してみれば、当時の私に足りなかったものは顧問が言う枠から超える勇気ではなく、自分が決めた自分の中だけのルールを破れなかった事だろうと思う。
私には表現すべきものがあり、私が求めていた“空気”は誰にも表現できず、故に従来の撮影技法に頼ってはいけないのだと。その為ならば人から評価されなくても構わないと。
基礎的な撮影技術は勉強していたが、私は敢えてそれらを使っていく事を避けていた。“空気”そのものを撮るためには、それらの技法は邪魔だと感じた。それはいわば自分が決めた傲慢なルールであった。

だが、3年間の高校生活の中で最後まで賞を取れなかったという事実は、今もなお私の中に壁に出来た消えないシミの様にいつまでも残り続けている。
表現したいものがあるならば、もっと勉強すればよかった。他の良いとされる写真を見て、研究し、もっと自分が求めるものを追求すればよかった。そうしたらもしかしたら、難しい顔をしていた顧問や、写真が得意な部長が考える、“良い写真としてのルール”を今度は私が破る事が出来たかもしれない。
そんな、今となってはどうしようもない小さな後悔を、私は今でも引きずっている。
そして私は時々、自分で買った一眼レフを片手に、ふらりと出かけてはぼんやりと“空気”を撮りに行くのだ。