生徒手帳に見開きでびっしりと書かれていた見た目に関する校則

肩にかかった髪は黒、紺、茶のゴムで結ぶ。靴下は白。防寒のためのタイツは12月1日から3月まで。薄いもの、カラータイツは駄目。靴は白のスニーカー。
これは私が通っていた中学校の校則の、ほんの一例だ。服装だけでも生徒手帳に見開きで、虫のように小さな文字がびっしりと書かれていた。

書かれていないけれど、先生たちが口うるさく言うことならもっと沢山。最近問題になっている、「下着は白」も勿論。下着まで確認する服装検査は流石にしなかったから、守っている子なんていなかったけれど。

私は些細なことなら、校則を破ったこともある。勉強に関係ないものは持ち込んでは駄目、と言われていたけれど、こっそり漫画を持ってきて友達と交換したりしていた。中身が見えない様に黒い袋に入れて、人気のない所でのやりとりはスリルといけないことをしているという背徳感があった。

それは卒業までバレることはなく、私は無事三年間通った学び舎を去った。中学校は、決していい思い出ばかりというわけではないけれど、未だにやりとりをする友達と出会えた場所だから、一定の思い入れはある。
しかし、その一方で、卒業して五年が経っても、未だにもやっとしたものが残る校則がある。

二種類しかない制服。寒くてもカーディガンを着てはいけなかった

女子は制服の上にカーディガンを着てはいけない。
「ルールを破れたら」という「もし」を考えた時に真っ先に思いつくくらいには、私の中では強烈な印象を残したものだった。

私が通っていた中学校の女子制服は二種類しかない――半袖の夏服と、長そでの冬服。どちらも一般的なセーラー服だ。夏服は風通しのいい、さらりとした生地でできていて、冬服はてらてらとした裏地のついた、ごついウール素材だった。中間服、合服と呼ばれるような、夏服の生地でできた長そでのセーラー服なんてものはない。

当時の私はそれが酷く不満だった。季節の変わり目、朝は寒く日中は暑いとき、男子は学ランを脱いで長そでのワイシャツを腕まくりしているのに、女子は汗をかきながら冬服を着ていなくてはならない。てらった裏地が肌に張り付くのも不快だった。かといって、夏服を着ていたら朝が寒い。

ちょうど各教室にクーラーがつき始めたころだったから、温度を下げたい男子とクーラーを使いたくない女子の間での喧嘩もしょっちゅうだった。何度一枚羽織るものがあったら、と考えたことだろう!

毎朝すれ違う隣の学区の中学生たちは合服を着ているのに。彼女たちを見るたび、羨ましいという思いと、なぜ私の学校には合服が無いのだろうという妬ましい思いが私の心に巣くった。

だから、私は友人と共に生徒会の投書にも、先生にも直談判もした。
体温調節できないのは、健康を損なうから、カーディガンを着るのを認めてほしいと。

校則を変えるだけで解決できるのに。認められることはなかった

なにも合服を作れとは言っていない。冬の寒いとき、女子生徒はセーラー服の下にセーターを着ていいという決まりがあった。だから、セーラー服の上からカーディガンを着てもいいではないか。校則を変えるだけで問題を解決できる、一番コストのかからない方法を提案したはずだった。

しかし、生徒会も、先生も、「認めることはできない」の一言で話を終えてしまった。
理由を聞いたけれども、校則だからの一点張りで。
当時の私は高校受験のために内申点が必要で、それ以上追及するのは得策ではないと考えて、すごすごと引き下がってしまった。そして、皆と同じように寒くても、薄いセーラー服一枚で過ごしたのだった。

卒業して何年か経っても、近所ということもあり、中学校の横を通ることがある。肌寒い日でも、外から見える女子中学生は誰一人としてカーディガンを着ていない。半袖を着て、縮こまっていた。きっと校則は変わっていないのだろう。

もしカーディガンを着ていたら、後輩たちは寒さに震えることはなく、快適な中学生活を送ることができたのだろうか。私の中学時代の苦い思い出である。