あのルールを破れたら。私、どうなっていたかな。
スカートを短く折って、髪の毛をふんわり巻いて、顔にはうっすら化粧なんかしちゃって。
だいたいの子が、こっそり破ってた校則。いや、そんなにこっそりでもなかったか。
私、たぶんそこそこの模範生だったんだと思う。成績がものすごく優秀だとか、そういうことじゃなくて、制服はちゃんと着るとか、先生にはちゃんと敬語で話すとか、誰もいなくても赤信号はわたらない、とか。
どんなに小さなルールでも、ちゃんと守らないと落ち着かない。私のそういうところが、案外めんどくさかったのかもしれない。
でもたった1度だけ、みんなの真似をして校則を破ったことがある。
短く折り曲げたスカート。なんだか凄くドキドキしたのをよく覚えてる。みんなに近づけたみたいで、嬉しくて、ちょっと浮かれた。今考えるとだいぶ恥ずかしい。
だけど、その後すぐに怖くなった。今思えば、そんなスカートを折り曲げたくらいで何をそんなにビクビクしてたんだ、なんて思えるけど、“あの時の私”にとっては大問題だった。
何が問題って、スカートを折り曲げたことなんかじゃなくて、ルールを破ったことを誰かに知られること、だった。見栄っ張りだったんだ。
だから、先生になんて思われるだろう、幻滅されるかもしれない、とかそんなことばっかり考えてた。そういうことで、スカートはすぐに直したんだ。
いつもの格好は安心したけど、ちょっとだけ悔しい気もした。
私たちは野菜なんかじゃない。だからルールを破るのかもしれない
どんなに内申が良くっても、大会でいい成績をとっても、私ってやっぱりどこか劣ってるんじゃない、なんて思ったり。
そんなこと大した問題じゃないし、って頭じゃ分かってはいても、心のどこかにそいつはいつもいて、時々ひょっこり顔を出してくる。それが、ほんのちょっと鬱陶しかったような。
でももし、最初から、そんなルールが無かったら。
靴は白い靴じゃなきゃいけない、靴下は無地じゃなきゃいけない、スカートに手を加えちゃいけない、化粧をしちゃいけない、髪の毛を染めちゃいけない、髪にアイロンをかけたりしちゃいけない。
もし、こんなのが最初から無かったら、なんの衒いもなく、私だって普通におしゃれを楽しんだりできたのかな。花のJKってやつをもうちょっと満喫できたのかも。
もう過ぎたことだけど、ちょっと不公平じゃない?って思ったりする。それとも、もう過ぎたことだからこそ、なのかな。
破っていいルールなら、それこそ、どうして作ったりするんだろう。
個性を切りそろえて、一様に。誰かが少しはみ出ればすぐに分かるように。列はまっすぐに。
小さな箱に植えられた野菜みたいだ。規格内に収まるように、同じ見た目、同じような味になるように、って。
だから、みんな校則を破るのかな。私たちは野菜なんかじゃないぞ、って。おしゃれを楽しみたい気持ちだって勿論あるんだろうけど、そんなふうに十把一絡げにされたら、自分はこうありたいんですよ、っていう主張がしたくなるのかも。
あの時の私にとって大事だったものが今はもう“そんなこと“
なるほど、要するに私は、ちゃんと“自分”を持ってたみんなが羨ましかったんだな。あぁ、うん、納得。
人にどう思われるだろうとか、そんなこと考えないで、ありたい自分で居たみんなは素敵だったから。
制服を着なくなってまだ1ヶ月と少し。なのに、もう懐かしい。
“あの時の私”にとって大事だったものが、今はきっとそうじゃない。だってやっぱり今は、そんなことって思うから。こうやって大事なものを忘れて大人になっていくのかな。ううん、ちょっと違うな。変わっていくのか。色々と。
なら、忘れないでいたい。
そしたらまた少し、変わった未来があるかもしれないね。