昔からよく泣く子だった。
泣いた一番古い記憶は6歳の頃、保育所にて。散歩に出る前、身支度にモタモタして、先生に急かされて泣いた覚えがある。「そんなに遅いと小学校でやってけんよ!」と叱られて。そんな些細なことで泣くなんて、と思われるだろうが、当時は何もかもが不安で、何事もスムーズに進められなければならないのだと強迫観念を抱いていた。
小学校でうまくやっていけない不安もあったし、なにより、他の子よりも遅れて置いてけぼりにされて、一人になってしまうのでは、という恐怖が一番にあったからだ。
20年以上経った今だからこそ、原因はなんとなく見当がつく。その頃、母方の祖父が末期がんで、母も祖母も頻繁に祖父の世話をしに行っていた。
父は脱サラしたばかりで、事業を始める準備に奔走していた。周りの大人が忙しそうにしている中、小学校入学を控えていたこともあり、自分がしっかりしないと誰もかまってくれないのではと思うようになった。それで、だんだんと神経質になっていったのだ。
小学校に上がってから祖父が亡くなり、母は祖父の世話をしに通う必要がなくなった。父の事業も軌道に乗り始めた。こうして周囲の大人が落ち着いてからも、私の神経質なところは変わらなかった。
喧嘩して泣いて帰った私に、父が教えてくれたこと
クラスメイトにからかわれれば全力でやり返し、そのくせ、仲間の輪から少しでも離れることを極端に恐れていた。不幸なことに集団下校のグループは私以外皆、同じ幼稚園出身の仲良し3人組だった。それだけでも仲間はずれにされるには十分な条件が揃っているのに、気難しいところのある私は彼女等にはまったく歓迎されなかった。
仕方なく一緒に帰るが、私が理屈っぽい話ばかりをするから何を話してもいちいち揚げ足を取られる。私も負けじと彼女らの揚げ足を取る。ある日とうとう怪我をする喧嘩に発展し、泣いて帰った。
その日、たまたま父が早くに帰宅していた。「おやおやどうした」と言わんばかりの顔で迎えてくれた父に、事の顛末を話した。父は少し考えてからA4程度の紙を取り出し、真ん中にメソメソ顔と、ニコニコ顔を横並びに描いた。私に問うた。
「どっちの子と仲良くしたい?」
私はニコニコ顔を指差した。
「そうやね。ニコニコ顔をしとったら、いろんな友達が集まるがよ。」
そう言いながらニコニコ顔の周りにニコニコ顔をたくさん描き始めた。
「逆に、泣いた顔や怒った顔をしとったら、同じように泣いた顔の人や怒った顔の人が集まる。だから、良いお友達を増やしたかったら、いつもニコニコ笑っとったほうがいい。」
そう言ってから私の頭を毛の流れに沿って、撫でた。いつも難しい顔をしていた私に、父が初めてくれた助言だった。
父の教えを守るうち、いつの間にか獲得した「面白い女子」ポジション
それ以来、笑顔を心がけるようになった。残念ながら集団下校の子たちとは仲良くなれなかったけれど、クラスの友達が増えて、友達が友達を呼び、学年が変わる頃には他学年の友達もできた。父の言う通りだった。
学年が上がるにつれ、「面白い女子」のポジションを確立していった。これは私の処世術。ニコニコ顔だけでは飽き足らず、ふざけたりおどけたりして、笑いを取ることに夢中だった。どの学校にも必ずいる「面白い女子」。「モテ」とは対極のキャラ。そうすれば皆が喜んでくれるから、ニコニコ顔が集まるから、なるべく面白い子で居ようと心がけていた。
大人になる頃には、「面白い女子」は本当の私の性格として染み付いてしまった。子供の頃は必死に取りに行っていた笑いが、今では意図しないで引き出してしまうことが度々ある。どこがツボなのか、見当がつかない。普通に暮らしているだけで笑いを取れるのならそんな楽しいことはないように思われるが、ところがどっこい、これはこれで苦労するのだ。
一番困っているのは、「何を言ってもニコニコしている」と勘違いされること。優しそうな人にネチネチと嫌がらせやマウントを取る人はよく居るが、私はそういう人の標的にされやすい。仕事の場でそれをされたことがあり、尊厳にかかわるところを傷つけられたために毅然とした態度で対応したことも何度かあった。
時々しんどくなっても染み付いたニコニコ顔が離れない
そんなこともあり、たまに、ニコニコ顔がしんどくなる。染み付いたニコニコ顔。くっついて取れないニコニコ顔。楽しい人でいるために、あんまり人に弱みや悩みを打ち明けられない。メソメソ顔や怒った顔の人がいると皆が不安になるから。
それでも、ニコニコしていればまた温かい仲間や楽しいことが集まるから、私はなるべくニコニコ顔で居続ける。それに、悩みを打ち明け支え合う彼ができた今は、たまにメソメソ顔で居られるときもあるから、随分と助けられている。
そういえば、父が泣いた顔は一度しか見たことがない。父方の祖父が死んだ時のみ。米粒のような涙をツッと流しただけで、私たち家族に辛い気持ちを打ち明けることはなかった。
お父さん、ニコニコ顔はたまにちょっと、しんどくない?
いつもクタクタになるまで働いて、家では楽しい父親でいたお父さん。いっつもくだらない冗談を言って、ゲラゲラ笑いあっていた思い出ばかり。
社会に出ていろんな悔しいことを乗り越えた今、父がどんな気持ちでニコニコ顔をキープしていたのかが、少しわかる気がする。日々の苦労をグッと堪えて温かい家庭を守ってくれたお父さん。今度はグチでも聞かせてくれんかな。