私の父は、自分の母親――つまり私の祖母に対して、学生時代から今もなお、反抗期に終止符を打てずにいる。
今年53歳になる。世話焼きの祖母は手作りのご飯やおすすめの健康グッズを時々持って来てくれたり、テレビや新聞で仕入れた健康に役立つ生活の知恵などを教えに来てくれたりする。祖母は口には出さないが、それらは父のために持ってきてくれているのだろうと思う。

心配性の祖母と反抗期の父。似た者同士が素直になれば、良き理解者になれるはず

2年前に祖父が亡くなった。祖父は温厚な性格で、父も祖父のことはとても慕っていた。
私が生まれる前から20年以上闘病していた。祖父を苦しめた病気は遺伝的なもので、その病気は父の体にも見つかった。祖父を一番近くで支え、一緒に闘ってきた祖母だからこそ、息子の健康を心から願い、心配しているのだろう。

とはいえ、反抗期中の父は祖母が持ってきてくれたものにもちろん目を向けることなく、「いらん。」の一言で終わらせる。そんな父の態度を見て、祖母も負けじと言い返すため、二人は歩み寄らないままである。私はそんな二人を見るたびに、「似た者同士だなぁ」と思う。
祖母が通販で購入する独特な健康グッズは、父もたまに同じようなものを使っているし、私が祖母の家から持ってきた雑誌を祖母のものだと知らずに「これ面白いなぁ」と父が読んでいたこともあった。好みや考え方も似ているからこそ互いに張り合ってしまっているけれど、祖母が父の健康を気にかけているように、父も一人暮らしする祖母のことを実際には心配していると思う。
父と祖母、そして天国で見守る祖父は、二人の親子関係が一生このままでいいと思っているのだろうか。二人が素直になれば、似た者同士よき理解者になれるはずである。

本当は心の深い部分で繋がっている。大人になると素直に伝えられない本音

ある日、私一人で祖母の家に遊びに行った時のことだ。
祖母から「ちょっと、こんなもの見つけたから見てみて」と言われて渡されたものは、一枚の封筒だった。宛名には「お母さんへ」とだけ書かれていた。
「これね、お父さんが小学生の時に書いてくれた手紙」と祖母が言った。もし父がこの場にいたら手紙を破り捨ててしまうかもしれない。祖母は父に内緒でずっと大切に保管していたのだ。

小学校卒業の時に書かれたと思われるその手紙には、今までたくさん苦労をかけたことへの謝罪と感謝、そしてこれから自立して祖母を支えていくという決意が書かれていた。
自分が小学6年生の時のことを思い返すと、こんな風に家庭のことを考えられた子どもではなかった。父の小学校時代に、祖父の仕事がうまくいかない時期や病気が見つかった時期が重なって、父は3人兄弟の長男として家庭を、そして祖母を支える役目を担うことを決心したのだろうと思う。
私が手紙を読み終えると、祖母は「お父さんも頑張ってくれたよ」と言って、父の子ども時代の話をしてくれた。

祖母のうれしそうな顔を見て私は気づいた。父の反抗的な態度は表面上のもので、そのことを誰よりも祖母は理解しているし、父と祖母は支え合いながらたくさんの壁を乗り越えてきたのである。
私は二人のことを少し誤解していた。お節介かもしれないが、娘として、孫として、二人が素直になって仲良く話す姿をいつか見たいと願う。