わたしは、自他ともに認める八方美人だ。
大人になってから、自分の話をすることや、自己主張をすることが苦手だと気がついた。それは、自分が八方美人として、この24年間を生きてきてしまったからだと思う。『自己主張をする』という、毎年掲げる目標も達成されることなく、今年の4月で人間25年目を迎える。
優しい自分でなくちゃ価値がない。ここから派生した八方美人の人生
わたしが八方美人だなと気が付いたのは、高校生の頃だ。
すごく苦手な男の子がいた。気分屋で、人の悪口をすぐ言うような子。そんな子にですら、私は優しく接していた。内心、なんだこいつ。そんな思いを抱きながら、普通にしゃべっていたし、部活だって一緒だった。
わたしは、彼が苦手だったけれど、彼は私を『いい人』だと言った。『学校イチいい人』そんな称号をつけられてしまった。そのおかげでわたしは、いい人である自分を演じなければならなくなった。
元々、争い事は苦手だし、平和であればなんでもいいと思っていた。自分がちょっと我慢すれば、済む話だ、と嫌なことがあっても絶対に相手には伝えない、完全なる平和主義者だ。
いい人である自分は、なんでも相手に合わせてあげるようになってしまった。自分の時間を割いてでも、友達の相談に乗ったし、呼ばれたら何時でも駆けつけた。
いつからか、優しい自分でなくちゃ、価値がないと思い始めた。
自分を犠牲にしてきた私が「優しさ100%」の自分をやめたら
ある日、言われたことがある。
「相談事を友達に話したら、否定されたんだよね。でもわたしは、話を聞いて欲しかっただけなの。だからこれからは、あなたみたいに話を聞いてくれるだけの子にしか、話さないようにするって決めたんだ。」
頭の中で何かが弾ける音がした。いつも、「あなたは本当に聞き上手で羨ましい」と、そう言ってくれていた友達からの衝撃的な言葉だった。虚しくて、悲しくて、とても辛かった。
いまだに、その子とは、仲がいいし、相変わらず私は、彼女の話を9割は聞いている。あまり大きな声では言えないが、本当は、9割聞いている『ふり』をしている。
でもこうして、完璧にやさしい自分でいることをやめたら、ほんのすこし生きることが楽になった。彼女のあの言葉が、もっと自分の時間を大切にしたいと強く思わせてくれた。
そう思うと、すごく傷ついたけれど、大きな気づきを与えてくれたことに感謝をしたい。そして、自分が八方美人だと、気づかせてくれた彼にも。
やさしいという言葉は、時として、相手にプレッシャーをかけてしまう言葉となる。本当は悪口だって言ってもいいし、大事なのは、誰にでもその言葉を伝えるのではなくて、信頼している一人だけに話すとか、そういったことが大事なのだと思う。
もう少しわがままになったっていい。自分本位に、自分の時間を大切に生きてみようと思った。
やさしい自分に疲れてしまった時は、ゆっくりと休もう。そしてこういうふうに考えてみてほしい。人生は一度きり。自分のために人生を生きる、ということを。
そんなわたしの目標は今年も、自己主張をする、になるだろう。