高校生時代、私は音楽を愛していた。なけなしのアルバイト代は、すべて好きなバンドのライブチケット代に溶けてゆく日々。音楽だけが私の側にいてくれた。よいときも、わるいときも、いつだってすぐ隣にあった。
校則を守るため、頭の中で私だけのプレイリストを作り心の中で流した
高校に、まったく馴染めなかった。中高一貫校に高校から入学した特殊枠の私は、すでに中学3年間で完成されていた友達の輪に入ることができなかったのだ。なるべく早く学校から出たくて、部活動にも入らなかった。
変わったしきたりや約束の多い学校で、いつも頭の中はぐちゃぐちゃに散乱していた。“自分”という核が形成されゆく過程にいた17歳の私は、散らかったままの部屋の中に閉じ込められて、みるみるうちに弱り、腐っていくように思えた。
最寄駅から自分の教室まで、歩いて30分ほどかかる。丘の上にある学校だった。長く細い住宅街をすり抜けて向かう学校は、気が遠くなるほど向こうにあって、さらに学校生活を憂鬱にさせる。
“最寄駅の改札を出る前に、携帯の電源を落とし、鞄にしまう”という校則がその学校には存在していた。生徒の安全、近隣の方とのトラブルを防ぐためだ。理屈は嫌というほどわかっていたが、それでも私は絶望した。
登下校の長い長い道のりを、どうしても音楽に助けてもらいたかったのだ。朝、一緒に登校する友達もいなければ、一緒に帰る友達もいない。イヤホンから止めどなく溢れ出る言葉たちに、救いを求めていた。
しかし、私はどうしてもその校則を破れなかった。ルールとされたものは、どれほど耐え難いものでも忠実に守る厄介な性質を持っていたから。毎日最寄駅に着いたら、音楽を止めてイヤホンを外し、電源を落とした。その度に、辛くて涙が出た。
学校に行きたくない。音楽が聴きたい。助けてもらいたい。毎日頭の中で自分だけのプレイリストを作り、心の中で再生した。
ある日の放課後、残っていたクラスメイト数名で話をするようになった
ある日の終礼後。テスト期間で、部活動をしている生徒も活動がなく、全校生徒が一斉に下校する日。私は、波打つように大勢の生徒が駅に向かって歩く景色が怖くて、下校時間を遅らせるために一人で教室に残っていた。周りの人々の大きな話し声で、頭のプレイリストが破損するのは耐えられない。
勉強をするわけでもなく、ただ教室にいた。窓の外で、生暖かい春の風に触れて揺れる葉を、見つめていた。
すると、その風が教室の中に流れ込んできたのか、どういう風の吹き回しなのかわからないが、教室にばらばらに残っていたクラスメイトの数名で、話をするようになった。勉強の話、部活の話、好きな音楽の話。春の風のせいで、心がじわじわと温かかった。
いや、理由がそれだけでないことは、天邪鬼な私ですら認めざるを得ないほどに明確だ。クラスメイトと親密な話をすることができて、本当に、心から嬉しかったのだ。下校時間になると、自然な流れで、そのままみんなで学校を後にした。教室を出ても止まらない話と、夕焼けで赤くなった靴箱。
誰かと話をしながら歩く長い長い帰り道が、こんなにも愛おしいなんて。私だけの頭の中のプレイリストもいいけど、もっともっと、胸がいっぱいになった。
校則のせいで人混みを避けて下校していた。でも、感謝することもある
それから、テスト期間の放課後は毎日そうやって過ごした。黒板いっぱいに、みんなで化学の元素記号を書く。問題をお互いに出し合う。誰かが教壇に立って先生役をする。みんなでふざけて大笑いした。
私の側にいたのは、音楽だけじゃなかったんだ。あの校則のせいで、私は脳内プレイリストを生み出し、人混みを避けて下校していた。
あの校則のおかげで、テスト期間に、放課後の友情を見つけた。私は、憎くて仕方がなかったあのルールに、心から感謝した。
あのルールを破れたら、毎日少しはマシな気分で学校に行けたかもしれない。あのルールを破れたら、学校を卒業するその日まで、学校や友達、放課後、帰り道を心から愛おしいと思えなかったかもしれない。
ルールを破れなかった自分と、憎かったあのルール。今はどちらも大切で、忘れられない愛おしい思い出だ。