水の中とは存外、綺麗ではないのだな。

家族旅行で行った沖縄の海が、あまりにも青く美しかったものだから、水の中とはみなこんな感じなのだと思っていた。

小学校のプールは沖縄の海とはかけ離れ、濁った色をしてる。苦しい。私の頭を押さえる大きな手は、信じられない程に力強かった。先生は私を、殺そうとしているのか。

プールの授業で隣のクラスの先生が、私の頭を掴み水の底へ沈めた

プールの授業は、嫌いではなかった。小学校低学年のプールなんて水遊びの延長のようなもので、泳げない私でも存分に楽しめる。そう、小学2年生の私は泳げなかった。幸いな事にプールの授業は、泳げる子と泳げない子でグループ分けされており、泳げない私は担任の先生と顔を水につける練習をしたり、ビート板を使って浮かぶ練習をしていた。

その日はいつもの先生がお休みで、代わりに隣のクラスの怖いと評判の女性の先生が来た。先生は私たちを一瞥し、「はい、では頭まで潜る」と言ってピッとホイッスルを吹いた。誰も潜らなかった。正しくは、潜ることが出来なかった。全員、まだそのレベルに達していなかったのである。

誰かが「潜る練習はまだしてません……」と言った。先生は激怒して「だからなんだ! やれって言ったらやるんだよ!」と怒鳴り、1番近くにいた私の頭をムズと掴むと、無理やり水の底へ沈めた。

死ぬと思った。鼻から入った水が痛くて、死ぬってこれより痛いのかなぁと他人事のように思った。突如力が弱まり、私は酸素を求めて水面へ顔を出した。最初に見えたのは他のみんなの怯える目。幽霊でも見たのかというくらい青ざめていた。「やらないなら全員こうだぞ」と先生は言った。

私は「死にたくなく」て、休日に父とプールへ行き、泳ぐ特訓をした

それからのことは覚えていない。何度か無理やり沈められて、死のトラウマが植え付けられたこと以外は。そして、授業が終わる際に「この事、絶対親に言うなよ」と釘を刺された。

その日の夜、私はもちろん母親に報告した。約束を破った訳ではなく、晩ご飯を食べながら1日の出来事をお話しするのが日課だっただけだ。それまで「ウンウン」と聞いていた母は、この話に形相を変え「連絡帳、貸して」と言って何かを書いていた。きっと「面倒見てくれてありがとね」くらいのことを書いたのだろう。

「次の授業までに潜れないとまた殺されちゃうんだ、泳げるようになりたいよ」そう言うと、父は何とも言えない顔をして、休みの日に市民プールへ連れて行ってくれた。泳ぎへの挑戦。その日、1日で私は25mを泳げるようになった。死にたくなかったのである。

転校した先の小学校で、私の頭をプールの中へ沈めた先生と再会した

転校した先の小学校で、この先生と再会した。6年生の時、新たな先生として赴任してきたのだ。あれから、この先生とプールの授業をすることはなかったため、今まで死なずに済んだ。2年生で、“潜る”なのだ。6年生には、“バタフライで50m”くらいの課題が出るかもしれない。私は怖くなって、先手を打つことにした。

「先生、中村です。覚えてますか? ○○小で一緒でした」と私が話しかけると、先生は怪訝そうな顔をして「ハァ」と返事をした。「私、泳げるようになったんです」と言うと、「ハァ、良かったですね? 」と、どうでも良さそうな返事をして去って行く。私は悔しくて、このまま後ろから突き飛ばして、殺してやりたい気持ちになった。

あれから私は、顔を水につけることが出来なくなった。顔を洗ったり、泳いだり、流動的ならいい。潜ったり、洗面器に張った水に顔をつけたりすることが出来ないのだ。またあの大きな手に、頭を押さえつけられるような気がして。

しかし、先生にとっては、ただのストレス発散。記憶に留めるほどの価値もない、私が誰かさえも分かっていないようだった。私は突き落としたい気持ちを頭からグッと抑え、その代わり先生にされたことをクラス全員に話した。噂は瞬く間に広がり、私は少しだけスッキリした。ストレス発散である。