「リボンを着用してください」。女性として働かなくてはいけないんだ

コロナ禍になってバイト先が潰れ、新しく始めたアルバイト。家から徒歩10分の食料品店。
入社したのは7月。夏服で働き始めていたから、初めは違和感がなかった。
なんだかしんどいなと思ったのは11月。テレビでは集計が長続きしているアメリカの大統領選挙が連日報道されている頃だった。

バイト先のグループラインに「冬服着用のお知らせ」が来た。
「男性はネクタイ、女性は支給されているリボンを着用して勤務してください。」
入社した時、制服と一緒に渡されたリボンを思い出した。

自分は「女性」側なんだ……。
名前も女性っぽいし、見た目も女性だ。第三者から見たら女性にしか見えないのは分かる。性自認も女性だ。性別違和ではない。

でも。とおもう。
女性として働かなくてはいけないんだ。
そう自覚してから、アルバイトはお金をもらうために働く時間から、自分が女性として認識されていることに晒されながらお金を貰う時間に変わってしまった。

客にとって女性として扱われる自分、気持ち悪いな…

プライベートの時間に女性として見られることと、働く時間に女性として見られることは、自分の中では少し違うものだ。
プライベートなら、嫌なものを嫌と言える。見知らぬ人に対しては何も言えない事の方が多いけれど、「逃げる」という選択肢がある。

でも。
お金を頂いて働く時間は、「人」と「人」の関係よりも「店員」と「客」の関係に傾いてしまう気がする。
外見が女性の店員を狙って話しかける「客」、外見が女性の店員にだけ態度を変える「客」。

女性という性別を自分が振り分けられたことに嫌悪感を抱いているのではない。
女性という性別を、働く時間においても振り分けられることが嫌なのだ。

勤務中につけていた胸元のリボンは、私が女性だということを周りに知らせているような気がして息が詰まった。
全員が、自分にとって嫌だなと感じる「客」ではないのは分かっている。
いい「客」もたくさんいる。感謝されて嬉しいこともある。
でも。
リボンをつけていることで、自分が「客」にとって「女性」として扱われている気がしてしまった。

気持ち悪いな……。
そう思っているうちに、リボンを付けて働いている時間にずっと泣きそうになったり、バイト先から帰る時に悔しくて泣いていたり、出勤前に泣きそうになっていた。

ヒールが自由になったら。男性が皆スーツを辞められたら

辞めればよかったのかもしれない。
どうして辞めなかったのか。今は、自分のプライドの高さが邪魔をして辞めたくなかったのだろうなと思っている。

12月のある日。
リボンを付けることにあまりにも耐えきれなくなった自分は、リボンを付けるのをやめた。
注意され、上手く呼吸ができなくなって。
その時にいた社員さんが店長に掛け合ってくれた。
今はネクタイで働いている。

でも。と思う。

性別違和がなくても、仕事上で性別で制服を振り分けられずに働きたい。
これは我儘なのだろうか?
性別で仕事上の服装が振り分けられる、あのルールを破れたら。

ヒールが自由になったら。男性が皆スーツを辞められたら。女性だけピアスが許可されるのを辞められたら。
セクハラに笑顔でかわすのがプロというのを辞められたら。

仕事上で性別が関わってくる、あのルールを破れたら。
自分の性別が身体の性別と合致していてもしていなくても。
もう少し、呼吸のしやすい社会に。なるんじゃないだろうか。