綺麗な色だと思った。
それ以上でも、それ以下でも、それ以外でも、なかった。なんでその色?とかなんで今?とか、そういう質問の全てにそれで間に合ったし、そこには誰も触れさせてはいけない。というより触れることのできない、いわば、真実とでも言おうか。
この言葉は好きではないけど、「正しい」という言葉が似合うと思う。それくらい揺るぎのない事実だった。

黄緑色に染めた私の髪。みんなも喜んでくれるはず…

綺麗な色が体の一部になった。たったそれだけだったけど、その瞬間から私は別の生き物になった。
背筋はきちんと伸びるし、口角はあがるし、いつもより沢山息が吸えた。それに起き抜けの、洗う前の顔をした自分だって愛しいと思えた。
こうあるべき、というかこれが私の本来の姿だなんてことも思った。それくらい当たり前に、どの瞬間も嬉しかった。
こんなに綺麗な色だから、こんなにご機嫌な自分だから。早く誰かに会いたかった。それから教えたかった。
好きな色があったら、髪の毛をその色にするといいよ、って。
私が好きな人たちは、私が嬉しそうにしてたらきっと喜んでくれるだろう。でも、そんな期待をしちゃいけないって知った。知ったというか薄々そんな気はしてたかもしれないけど、はっきり分かった。

「お疲れ様です。」
そう言ってキッチンに踏み入れた瞬間、いや少ししてから、ジワジワと集まる視線。私だって馬鹿じゃないから、ピンで留めて隠してるよ。
でも、出ちゃってる、可愛い黄緑のカナリアみたいな毛。
結果から言うと、誰も怒りやしなかった。私が四年間働き続けて、卒業していく古株アルバイトってこともあるんだろう。店長も社員さんも目をつぶってくれてたんだ。仲の良いパートのおじちゃんだけが「可愛いね」と言ってくれた。その言葉が1番欲しかったんだと分かるくらい、私の心臓がトントン跳ねていた。

私はこんなに綺麗で嬉しいのに、どうしてあなたは怒ってるの?

よしよし、残り3日ほどの勤務もなんとかいけそうだ。もっと褒めて欲しいなぁなんて思いながら私はのほほんとしていたわけ。
そしたら、珍しい人から連絡が来た。
るんるん。緑色のトークアプリを開く。…げ、開かなきゃ良かったか?答えに詰まる質問だ。

「髪の毛を派手に染めたんだって?」

さてさて、どっちだ?怒るのか?いやいや、こんなに可愛い色にどうして怒る?それに私の嬉しそうな様子を見て怒る人じゃない、だって私の大好きな人だから。
そう思って私は、髪を染めたその日に撮った1番綺麗に写った写真を送る。シュポッという音とともに期待の気持ち。
…なんだか違うみたい。返信を見つめて数秒間、それからそういう事態を理解し始める。どうしてあなたは怒ってるの?
自分の気持ちはそう叫んでる一方で、頭の中でこちらもまたずっと重くのしかかるものがある。

「ルール違反」。
私はファミリーレストランのホール店員。リーズナブルだけど、ちょっとお高めの料理もある。そんなお店。お鍋とか美味しいの。
画面の向こうは私の先輩、大学院に行ってて、昔と比べると勤務はグッと減ったけど、たまにバイトしに来てくれる。この人ってば、真面目で仕事は速くて丁寧で、それでお茶目なところもあって、たかがバイトといえばそうなんだけど、手を抜かずちゃんと情熱を持った人。だから、私はそんな所が大好きなわけ。

ルールを破ったのは私。でも、ありがとう、大好きって言いたかった

それからというもの、私は最後の勤務の前日まで、トーク画面の中で2日間にわたってお説教をくらった。
先輩の言ってること、何一つ間違ってないの。でも、私のこと、誰も間違ってるっていえないはず。
きちんとオーダーを取って、にこにこして、お困りごとがないか気を配る。立派に働いて、おまけに可愛い緑の毛が一房、両耳のあたりで見え隠れしてる。ただそれだけ。
そう思ったから、最後の勤務ももちろん黒染めなんてしなかった。相変わらず、ピンで隠したけどね。

いよいよ、閉店の時間が来た。このお店ともお別れね。そう思ってたら、先輩がね、来てたの。
本当は少し前にきづいてたけどね。勤務じゃないのに。
「なんだ、こう見たらまだマシだね。」(そりゃ隠してるもの。あなたに送ったのは1番綺麗に見えるやつよ。)
「でも、最後の最後にそんなことしなくたって…」(そんなこと、ね)
耐えられなかった。
「わざわざそれを言いに来たんですか?」
人懐こい笑顔を作る。声は少し高い。なるだけ無邪気に…。
…上手く言えたよね、冗談ぽく言えたよね。

あーあ、先輩帰っちゃった。失敗しちゃったみたい。ありがとうって、大好きって言えなかった。髪の毛の色もっとちゃんと見て欲しかった。「良い色だね」って、言って欲しかった。その一言があればお説教なんて忘れられるのに。

ルールを破ったのは、私。でもこんなルールがなかったら、私とあなたは今でもきっと笑い合えてたと思うの。綺麗なものを「綺麗だね。」って言い合えたはずなの。好きなことを全部隠さず、話せたはずなの。