悪い事をしたわけでもないのに、なぜ「すみません」なの?
中学生の時、私には一つ疑問があった。
英語の授業で教わった「Excuse me?」の和訳。ほとんどの中学生が最初「すみません」「忙しいところ恐縮ですが」と習ったことだろう。
でも考えてみれば、相手に失礼のないように丁寧な言い回しはあるとしても、自分がへりくだってお願いをするシチュエーションなどあるのだろうか?
先生は聞き馴染みのあるセリフに訳す事で理解させようとしているのは分かるのだが、そもそも当時の私は、オトナの会話を聞きながら“悪い事をしたわけでもないのになんで謝るのだろうか”という疑問が止まらなかったし、先生に質問したこともある。
先生は「相手に質問するときは相手の時間をもらうから先に謝るんだよ」と答えてくれた。もっと疑問は深まっていく。
「人に質問するのは悪い事なのか」「旅行客は道を聞く時にそんなに気を遣わないといけないのか」
今思えば相当面倒くさい生徒だった。教科書の最初のページ、しかも本文の最初のセリフ。そんなことに疑問を持つ生徒、この先が心配で仕方ない。
旅先で「どうして日本人はすぐに謝るの?」と質問され…
大学生になって、アルバイトをすると少しだけ金銭的に余裕ができた。国内、国外問わず様々な場所へ旅行した。
海外で道に迷った時や現地の人に質問する時、私は「Excuse me?」と話しかける。日本語では「すみません」。実際に相手がこのセリフをどのように捉えているかは分からないけれど、少なくとも私の中には“あなたの時間をいただいて申し訳ない”という感情があった。
一人旅をしている時、ある宿で出会った外国人に質問された。
「どうして日本人はすぐに謝るの?」「僕が日本で落とし物をした時、拾ってくれた人に“すみません”と言われた」と。
相手に質問する場合、先に謝っておくのは日本人としての礼儀であるという教育を受けてきたが、落とし物を拾うのは親切であって、決して謝ることではない。文化の違いが浮き彫りになったこの質問の回答には少し時間が掛かった。
私は「日本人の言う“すみません“にはいろんな意味があるんだよ」としか答えられなかったが、この回答で全く誤解を生まない自信は無かった。十年前、私に「Excuse me?」の意味を教えてくれた先生なら何と答えただろうか。
一言目はすみませんと言うことに、疑問を抱いているのは私だけ?
中学生の時、私は教科書の一行目から疑問に思ったことを先生にぶつけたし、その時に「先生の貴重な時間をもらってすみません」などとは全く考えていなかった。
でも、私が世間知らずだっただけで他の子達は“質問することは相手の時間をもらう”事を知っていたのかもしれないし、“話しかける時には「すみません」と言う”ルールを知っていたかもしれない。
高校卒業する頃には、さすがに他人に話しかける際は「すみません」と言うようになったが、心の片隅には未だに面倒くさい自分がいる。
大学を卒業した私にはまた一つ疑問ができた。
もしかすると、この“一言目はすみませんと言うルール”に対して、密かに疑問を抱いている人は少なくないのではないか?そして、この疑問をどこにもぶつける事が出来ないのではないか?
だって、このルールを理解するためにはこのルールに縛られるしかないから。