今のわたしがあるのは、疑うことなく、あの夏があったからだ。
体育館の舞台上。そこに私たち“演劇部”の全てが詰まっている。

演劇部に入部したときのわたしの第一印象を聞いてみると、「どこにでもいそうな大人しい女の子」だったらしい。当時のわたしはかなり純粋で天然、そして顧問の先生から嫌われていたらしい。
らしいというのも、純粋すぎるが故に、先生の怒りの的になる理由が「私の演技が下手」と本気で思っていて、気づかなかったのだ。

先生はいわゆる「女熱血教師」で、「察しの悪い人」が苦手なタイプだ。
そして私は冗談を真に受けてしまうタイプの天然で、それはどう見ても相性が悪い組み合わせだった。

ほとんど裏方の私は部長に選ばれた。自分の責任感の強さに気づいた

初めての役者のオーディションで、部員の票が多かったわりに、先生の一言で簡単に落とされたのも、当時は「私の演技力不足だ。もっと頑張らないとだめなんだ」と自分を奮い立たせるエネルギーに変わった。

そしてやっともらえたのが、クレープを食べて盛り上がっている、名前がない女子高校生の役だった。ほとんど裏方の経験しか積めないまま、気づけば高校2年生になっていた。

今振り返れば、舞台袖から先輩たちを見ていた期間は、絶対に無駄ではなかったと思う。いろんな役の、「わたしがこの役だったらこうしたい、こっちの方がいいんじゃないか?」という自分なりの思考が生まれはじめたからだ。

そんな時、はじめて名前のある“怜ちゃん”という主人公の友達役をもらい、練習に打ち込んでいた。

時間はあっという間で、先輩たちの引退が迫っていた。
同時に、新しい部長は誰にするかの会議が行われる。
同学年が集められ、多数決で決めることになり、せーので指を指した。

その指たちは、全員、わたしに向けられた。

正直、何事かと思った。同時に先生は、不服な顔をし、部員にどうしてだ?と問う。
すると、「一番真剣に取り組んでいる」とか「ちゃんと毎日部活に来ている」という、それはどこにでもいるし当たり前のような理由で、腑に落ちないまま部長に決まった。

けれど今では、部長になったことを誇りに思う。
新しい自分に気づくことができたからだ。
それは“責任感の強さ“だった。
ある日突然、先生に「お前、どうしたんだ?何をした?何があったんだ?今日は本当にすごいぞ」と、目を丸くして驚かれた日があった。別人のように覚醒したと言う。

「一人で突っ走りすぎだぞ」。先生の言葉に胸がいっぱいになった

自覚はなかった。
ただ、毎日手を抜かず、目の前のことに正々堂々向き合っていたくらいだ。
それが自分の気づかぬところで開花したらしい。

「先生、わたし、今のままじゃだめなんです。全然足りない、こんな部長、誰もついてきてくれません。ちゃんと演技力も声の出し方も完璧にならないと、指示なんて胸を張ってできません。だから、朝練始まる前に、練習1:1で付き合ってくれませんか?」

わたしは、苦手だった発声の仕方と、先生に、正々堂々向き合った。
先生は、影の努力を誰よりも見てくれ、受け止めて、支えてくれた。

それから、もう一つ。先生の良さに気づけたのは、先輩が引退してから、最初の大会の練習のときだ。
「お前なあ!変えるならとことん振り切れ!さっきから何も変わってないだろうが!!」

体育館中に先生の怒鳴り声が響き渡る。
一人の後輩が、何度言われても演技の改善ができずに、同じシーンを繰り返していたのだ。

先生はついに呆れ始め、後輩は泣き出してしまった。見るに堪えなかったわたしは、気づいたら一人でその子の所へ行き、目一杯のアドバイスをしてその場を明るく楽しくしようと必死だった。

しかし、部活が終わった後、先生に呼び出される。
「なぁ柚希。お前は、なんで何もかも一人でやろうとするんだ。」
「え、…?」
「お前は一人で突っ走りすぎだぞ、部員に頼らない、甘えない、それが部長か?助けようとしてくれてる仲間がいるのに、頼らないっていうのは、お前を大事に思ってくれている仲間に失礼なことだぞ。」

核心を突かれて、床に涙が落ちた。重みのある愛がにじみ出た言葉に、胸がいっぱいになった。

先生の後ろでは、涙目のわたしを心配そうに見守る仲間が、待ってくれていた。

次の日の朝、練習前の円陣で、素直になった気持ちがこぼれた。
「演劇って、一人では、絶対に成り立ちません。最後の大会、わたし一人の力ではどうにもだめで、立ち向かうことすらできません。だから、みんなの力を貸して欲しい。協力して、全力を出し切って、結果はどうだっていい。ただ、誰一人後悔のない舞台にしたいと思ってます。だから、今日から一人一人に全力でぶつかっていくので、どうか折れずについてきてほしい。力を貸してください。お願いします。」

自分でも何言ってるかよくわからないほど、まっすぐだった。
それからわたしは“躓いている役者がいたら、“みんな”で前向きなアドバイスして背中を押すこと”、“遊んでやることを「楽しい」とはき違えないこと”を軸に、炎天下の中、汗と涙の練習に励んだ。

最後まで全員で全力でやり切った。演劇部に関わった全てのものが、私の宝物だ

最後の大会は、仲間たちと即興劇から作り上げた創作脚本で、わたしは脚本と演出と役者をかけもった。全員、最後まで一切手を抜くことなく全力でやりきり、結果、仲間たちのおかげで夢の県大会出場を叶えることができた。

県大会の帰り、下りのエスカレーターで先生が
「なんか、すごく清々しい表情してるぞ。私も嬉しい。本当によかった。結果はどうであれ、柚希がやりとげられてよかった」
と言って、微笑んでくれた。

卒業式アルバムの白紙ページには「柚希の言葉には重みがあり、人の心を動かすものがあります。正直、一番成長したんじゃないかな。あなたの幸せを心から願っています」と書いてあり、胸が熱くなったのを今でも覚えている。

この3年間、先生や先輩、同級生、後輩たちと挑戦したもの、日々それに向けて積み上げてきたもの、どんなに苦しくても諦めなかったこと、出来ない自分が悔しくて泣き叫んで、蹴飛ばすようにこいだ午後8時の自転車さえも、演劇に関わった全てのものが、今の私にとってはかけがえのない宝物だ。