コロナ前の当たり前の休日。1人で目標を決めて走る時間が好きだった
その「いつも」とは、きっと、コロナ前の当たり前の休日だったのだろう。もう、あの当たり前のあの頃は戻って来ないのだろうか……。
休日。特に誰とも会う予定がない。会いたい人はいない。会いたいと言ってくる人もいない。
そう、今の私には休日に予定がない。ゆえに、休日に何時に起きようが、いや、1日中、寝ていても、引きこもっていても、誰も困らない。誰も起こさない。実に無味乾燥な1日でしかない。テレビを付けても、音が鳴っているだけである。楽しいとは思わない。
元から、人との関わりはあまり好きではないのかもしれない。人に興味が沸かない。
1人でいる時間が好きだった。走ることが好き。みんなでワイワイ走るのも嫌いではないが、1人の時間を謳歌するように自然と対話しながら地面を蹴り、気の赴くままに走る時間が幸せだった。
とはいえ、やはり目標がなく走っているわけではない。定期的にレースを入れては、そこで自分の力を発揮すること、それが休日の楽しみであり、何より仕事以外の場所で自分が生きていることを実感できる幸福感と達成感に満ち溢れた時間であった。
たとえ結果が出なくても、その日、自分にしか出来なかった走りがあったわけであり、1日を振り返った時、その一瞬にしか出来ない走りに自己満足していた。
人との会話がなくなり、走るにしても欲が湧かなくなった今が苦しい
趣味を同じくする仲間がなんとなくそこにはいて、深いつながりにはならないものの、ゴール地点を目指して無心で走ることに不思議に勝手に共通点が生まれ、仲間意識が勝手に沸いていた。
コロナになり、イベントは消えた。人との距離を意識しないで生きることはもはや出来ない。実家から遠い場所で一人で暮らす私にとって、それは孤独感との共存。
あまりに苦しすぎた。いや、正確に言えば、今だってあまりに苦しい。人との会話がない。走るにしても、欲が沸かない。何のために走っているのか、分からない。目標が見いだせない。走って家に帰っても、誰も待っていない。自分で作ったご飯はちっともおいしくない。見栄えを良くしようという気も沸かない。
私は人間らしさをすっかり失って、単色のつまらない休日を過ごすしかなかった。先の見えない不安に押しつぶされそうになりながら、何を楽しみに生きていけば良いのか、本当に分からなくなっている。孤独感に耐えながら過ごす休日が終わると、勝手に平日がやってくる。当たり前のように月曜日が始まる。
1人が好きだったはずの私は今、1人でいることに終止符を打ちたい
本当に一緒にいたいと思う人を早いうちに探すべきだったのか。1人でいることに終止符を打ちたいなら、どうしたら良いのだろうか。仕事を捨て、実家に戻るべきなのだろうか。
本当にどうして良いか、分からない。自分がこのまま暗闇と共存しながら生きていくのだろうかと思うと、恐怖心と不安で、完全にダメになる。
人は1人で生きていけない。強がっていた自分が一番、身に染みて実感する。たわいもない会話が実に尊くて恋しくて、人の温度が感じられない休日は、本当に身も心も寒い。本当に寒い。
週末が来るのが楽しみでどうしようもなかった子供の頃。そこには家族がいて、愛情があって、笑顔があった。大人になった今。週末にこんなふさぎ込んだ気持ちになるなんて想像しただろうか。
充実感とはかけ離れた、苦しいだけの週末。私はこれからどこに向かって行くのだろうか。そんなことを考えても答えは分からないし、時間も過ぎない。気持ちの切り替えも出来ない。ふとしたことを話す相手もいない。完全に下向きな気持ち。