私の父は、厳しい人だ。少なくとも娘である私は、そう思いながら育ってきた。私が小さな頃から父は大黒柱であり、絶対的な存在であった。
就職を機に上京するまでの22年間、父に逆らうこともできなかった
父が厳しいと初めて思ったのは、小学生低学年の頃だったと思う。お正月にお年玉を親戚からもらったら、ポチ袋のまま全額父に渡していた。もちろん父がお年玉を勝手に使っていたわけではなく、銀行口座に貯金してくれていたのだ。しかし、冬休み明けの小学校では、同級生がゲームや文房具にお年玉を使ったと言っているのを聞いて、羨ましくて仕方がなかった。
その他にもよく「ピアノの練習を真面目にやりなさい」「宿題は終わったのか」と言って怒られるので、私は父に嫌われてると思っていた。覚えている限り、親から誕生日プレゼントやクリスマスプレゼントももらったことはない。
門限は、大学生の時も22時半だった。サークルのある日は、大学まで片道1時間半かかっていたので、21時前にサークル活動を抜けて、走って帰っていた。サークル仲間はサークル終わりにごはんに行くなどして、仲間意識を高めあっていて楽しそうだった。門限に関して父に何度か交渉したことがあるが、特別な理由がない限り22時半は揺らがなかった。
就職を機に上京するまでの22年間、絶対的な父に逆らうこともできなかったため、特に反抗期もなく、今に至っている。
父と離れてみて「自分はとても愛されて育ったのでは」と気づいた
一人暮らしを始めて、父と離れてみて気づいたことがある。それは父はシャイな性格だということだ。表立った言葉や行動での愛情表現は苦手だったようだ。
親戚に就職で上京することを伝えたときに、よく「お父さんが寂しがるんじゃない?」と返された。口では「そうかもしれないね」と返しつつも、せいせいするのでは? という思いが拭い去れなかった。
ある長期休みに帰省したときに、ホームビデオの整理をしがてら観ていて、自分はとても愛されて育ったのではないかとふと思った。私が産まれてすぐにお世話をしてくれている父の姿や、1歳になる前の物心ついていないくらい小さな頃から、旅行に行っている様子がビデオに収められていた。何より、箱に収まらないくらい幼少期のビデオが撮り溜められていた。
そのことから、父が厳しいのは、しっかり育ってほしいという娘への愛情であったのだと遅ればせながら気づいた。小学生のとき使いたくてたまらなかったお年玉も、父の管理のお陰で、まとまった額が貯金として残っていて、今小さな安心感を与えてくれている。
私の強みの一つに物事の継続力があるのも、父が口酸っぱくピアノの練習や宿題、テスト勉強をしろと言ってくれていたからだと思う。ピアノや水泳といった習い事に部活、留学、4年間の大学の学費など、私がやりたいと望んだことは、全部お金を気にすることなくやれたのは一重に父のお陰だ。
もっと日頃から「感謝の気持ち」を伝えて、父を労ってこれば良かった
社会人になった今、家族を養うことへのプレッシャーは、計り知れないということを身に染みて感じでいる。例えば週5日働くと、とてつもなく疲れる。一人暮らししていると、休日は昼まで寝ていても問題ない。
だが、実家にいた頃の父は休日になると買い物に行くなど家族のために働いていた。仕事の弱音を吐いている姿も見たことはない。私も子どもがいれば強くなれるのだろうか。家族のためにがんばっている父のことを、改めて尊敬した。
今、父からの無言の愛情を感じて、感謝の気持ちで涙しながらこのエッセイを書いている。実を言うと、私も父譲りのシャイな性格なので、表立って感謝の気持ちを述べるのは恥ずかしい。もっと日頃から感謝の気持ちを伝えて、父を労ってこれば良かったと後悔の念が沸いてきた。
せめて、これからの私や父の人生の節目に“親孝行”という形で、恩返ししていきたい。もう成人式も終え、一人暮らしを始めてしまっているので、次の目標としては、結婚式で父とバージンロードを歩き、これまでの感謝の気持ちを伝えることにしたいと思う。