その本を読んだとき、裏切られた、と思った。
テレビで見かけた素敵な女性が作家さんと知り、本を購入することに
わたしは普段ほとんどテレビを観ない。なぜ観ないのかなど、理由は特に無いけれど、とにかくほとんど観ない。
だけど、大学生のとき、ある冬の試験前日、勉強にも疲れなんとなくテレビをつけた。そのときたまたまやっていた番組に、男女二組ずつ、四人、出演者がいた。三人は知っているひとで、あとひとり、女性で、これは誰だ?と思った。
とても美人で声と話し方が優しそうで素敵だった。なんとなく、果物のオレンジを想像させる話し方だった。さっそく「番組名 もとや」で検索すると、劇作家・作家である本谷有希子さんという方だということが分かった。わたしは本を読むことがなによりすきなので、これは良い収穫かもしれないと思い、翌日の試験終わりにさっそく書店へ行き、本谷さんの本を購入した。
文庫本の短編集しか置いてなく、短編集があまり好きではないわたしは少しガッカリしながら家へ帰った。同じ読書好きの友人は「短編集ってお得感あるじゃん」というけれど、わたしはなんとなく損をした気分になる。だって一冊をまるまると、ガッツリ読みたい。
本を開き「裏切られた」と感じると同時に、書くことの自由さを知った
家に着き、本を開いた。そして、裏切られた、と思った。
前日のテレビで観た印象から、本谷さんの書くものはきっと、雪の降りしきるシンとした中に響く鈴の音のような、真夜中眠れぬ夜に見る月の輝きのような、そういう綺麗な文章だろうと想像していた。
でも違った。そこには感性がむき出しの、決して世界に浸透し得ないあるがままの、そういう文章が並んでいた。
わたしは今まで割とカッチリとしたミステリを好んで読んでいたので、なんだこれはと思ったのだ。だって文章で書いてあることを、さらに手描きのイラストで表していたりして、なんていう自由さなの?と、驚いた。これを本当に昨日テレビの中で喋っていたあのオレンジのひとが書いたの?と。
だけどそれと同時に、そうだよな、とも思った。「書くこと」って自由なんだよな、と。わたしが勝手に文章とは、本とは、「こうである」と思い込んでいただけで、別にそんなこと誰も決めてないよな、と。
それからわたしは本谷さんの本を、とにかく手に入るだけ手に入れて、たぶんこの世に出ているものは全て読み尽くした。と、思う。
読むたびに思うのだ、裏切られた、と。だけどもうやめられない。わたしの生活に本谷さんの本は必要不可欠になってしまった。
その方は「綺麗な薔薇には刺がある」という言葉の権化みたいなひと
それから、テレビを観ないわたしは、本谷さんの出ているその番組だけは観るようになった。観れば観るほど、最初の優しそう、という印象は変わっていった。
滅茶苦茶毒舌だったのである。全然オレンジじゃない。どちらかというとドラゴンフルーツだ。「綺麗な薔薇には刺がある」という言葉の権化みたいなひとだった。またしても裏切られた。
最近は、文芸誌に三年ぶりに物語を載せていた。文芸誌は普段買わないけれど、絶対に読みたいと思い、発売日に書店へ行き購入した。
やっぱり裏切られたと思った。なんなの、これは、と思った。スライムかと思って触ったら吐瀉物だったというような、最後に出版された単行本から、ヒェという変化を遂げていた。SFに分類されるのだろうが、サイエンス・フィクションというより、クレイジー・ファンタジーという感覚だった。そんな言葉は無いけれど、CF。とにかく、破茶滅茶に面白かった。
どうしてもテレビって観る習慣がつかなくて、その番組も最近は観なくなってしまったけれど、どうやら産休に入られたらしいことを聞いた。無事に出産して、またわたしを裏切ってくれることを楽しみにしている。刺があると分かっていても触りたくなるのが薔薇なのだ。
わたしの人生のなかでいちばん、最高で、最好で、最幸をもたらす裏切り者だ。