父とはもう6年以上連絡をとっていない。中学1年生だか2年生の時に当時私が通っていた塾まで車で送ってもらい、「いつでも連絡するんだぞ。」と言われたのが最後だ。
私は目も合わせず、てきとうに「ああ、うん。」と流し車を出た。もう離婚すると知っていたし、私としても一刻も早くに関係を切りたかった。
今でこそフェミニズムを通して様々な差別問題、人権問題から学んだ事柄を自己投影させ、少しでもまともな人間で存在していようと日々奮闘しているが、その根底には「父のような人間にならないように」という意識があるのかもしれない。
そう考えると、私はまだまだ父親に縛られているのかもしれない。そんな呪縛は年々薄れているように感じるから、ゼロに近づくまでにはあと少しの時間が必要そうだ。

ミサンドリーが根付いたのは父親の影響。あなたが知らない私の憤り

女、酒、金、最悪の三拍子が揃った完璧な父親だったと思う。小学校から帰宅すれば家の前にはパトカーが停まり、家中に警察官がいたこともあった。他界したと聞かされていた父方の祖父母が実は生きていて、ある日突然「よろしく」と言われたこともあった。
父親が家を出てからは母親の泣き顔を見ることが無くなったし、幼少期からそんな父親を見て育ったせいか、私の中にはいつの間にかミサンドリー(男性嫌悪)が強く根付いていた。仲のいい男友達はいたが、恋愛感情なんてものは生まれない。結局は振り回され傷つけられるのが男との恋愛だろうと思っていた。

父親はきっと知らない。
母と言い合いになる度に、「なあ!」と私に問いかけ巻き込んできたのが嫌だったこと。
お酒に酔った真っ赤な顔が恐怖だったこと。
学校の友達と家族の話になるたびに話を逸らすのが大変だったこと。今となってはすっかり慣れて話を逸らすのが上手になったこと。
中学3年生の時、“家族”がテーマの家庭科の授業に耐えられず授業中に泣いてしまったこと。
高校受験の期間中に離婚したおかげで、受験票の保護者名が変更になり、全ての願書を書き直したこと。
離婚すると聞いた時よりも離婚するという実感があったこと。
ペットのメリーは去年の初夏に13歳で亡くなり、この前1周忌だったこと。ずっと残り続ける名前を勝手に付けておいて結局いなくなるなんてと、ずっと憤りを感じていること。
あなたの戸籍から早く抜けたいと考えていること。
毎年私の誕生日には手紙をくれるけど、ついに今年は誕生日を間違えていたこと。
楽しく暮らしているのに、その手紙のせいで気分が酷く落ち込むこと。
それでも何をされるか分からないという恐怖から、手紙を返したいとは思わないこと。
この社会はひとり親家庭にひどく冷たい時があること。
あなたがきっかけで毒親について勉強していること。
小さい頃は大きい人に見えていたけど、21歳になってみてあなたがどれだけ小さい人なのか知ったこと。
父親を憎く思うことは辛いということ。
この文章を書きながら、もっと楽しいテーマで書いてみたかったと感じていること。

理解を示す彼氏の存在と、平穏に過ごしていける平和な未来が見え出した今

別に見たいと頼んでもいない世界を、なんか知らんけど見せつけられてしまうから、多分精神的に強くならざるを得なかった。もうめんどくさいことは起きて欲しくないし、死ぬまで平穏でいてくれと思うからこそ、人当たりも良いように見られるのかもしれない。「優しいね」「強いね」と言われる事が増えた。
でも優しくなるために傷ついてきたわけでもないし、私を傷つけた人や事が優しい自分を形成したとも思いたくない。それなら別に優しくなくていいから平和に過ごしたかった。こう思っていることも、父親は知らない。どんどん私の中からいなくなっていく。