中学二年生の夏、親友の両親が離婚した。不登校だった私は、彼女のそばにいられなかった。

小学校で見つけたかっこいい親友。一緒にいる時間は心地よかった

学年で女子が九人しかいない小学校で、私は親友を見つけた。漫画を描くのが好きな、不思議ちゃん。彼女は漫画好き(というかオタクだったと思う)のお父さんから影響を受けて、いろいろなアニメや漫画を知っていた。

親友だと思ったのは、一緒にいるのが心地よかったから。
とにかくマイペースな彼女は、ほかの女子から「嫌われないようにしなきゃ」と息苦しさを感じていた私にとって、かっこよく見えた。

昼休みは一緒に絵を描きながら、おしゃべりをするのが日課になった。浮いている不思議ちゃんと仲良くなった結果、ほかの女子が私を見る目も変わったけれど、平気。「外で遊ばないからデブなんだよ」なんて、いじわる言われても、平気。
親友との時間は楽しくて、ありのままを肯定してくれるように感じて、自信をくれた。

体調を崩し学校に行けなくなった私を、親友は理解してくれなかった

中学一年生の冬、私は学校に行けなくなった。原因は起立性調節障害という、自律神経失調症の一種。
とにかく朝、起きられない。学校に行けないくらい身体がだるいのに、十五時ころには回復する。

罪悪感と、「どうしてそんなに休むの?」という友だちの目と、「悩みがあるから学校に来られないのね。なんでも相談して!」という先生のまちがった気遣い。
とにかく理解されないことがつらかったが、一番ショックだったのが、親友の態度が変わったこと。

「また体調悪かったの? こんな時間から来ても意味ないじゃん」
その日は重い身体を引きずって、午後から登校した。以前から「気圧の変化などで体調を崩す」と言っていたから、理解してくれるかと思っていたのに、「今日は天気悪くないのに」と言われる始末。

「最近一緒にいないね」
クラスメイトも、私たちの変化に気づいたらしい。
「もしかして、無視とかされてない?」
その通りだと思った。認めたくなくて、「そんなことないよ」と返したけれど。

私を無視しはじめた親友は、別の子と一緒にいることが増えた。昔の彼女に似ている、美術部の不思議ちゃん。私と一緒に入った吹奏楽部をやめて、美術部に入ると、「さすがに合わせすぎだよね?」とささやかれるようになり、今度は親友が冷ややかな目で見られるようになった。それからはなにもなかったように、班決めなどでは絶対一緒の、親友もどきに戻った。

マイペースで不思議ちゃん。私を肯定してくれた彼女はいなくなった

私が話しているのは、誰なんだろう?
私が好きだったのは、マイペースで不思議ちゃんの親友。一緒にいるだけで、私を肯定してくれた親友。

今の彼女は、誰かのペースに合わせていて、私のつらさを理解してくれなかった。不登校の私にとって、二人組をつくってくれる相手はありがたい。けれど親友だった彼女は、そこにいない気がする。

マイペースな不思議ちゃんが、人に合わせるようになる。学校に来ない親友を無視する。それはすべて、両親の離婚が原因なのか、わからない。仲のよいお父さんと離れることになったのだから、相当つらかったはずだ。彼女なりに、環境に順応しようとした結果かもしれないし、成長なのかもしれない。

彼女の両親が離婚したことと、私の不登校。今考えると、それらは私たちの関係を壊したのではなく、問題を浮き彫りにしたのではないかと感じている。

あのときはごめん。当時私たちが縛られていたのはきっと「親友像」だ

おそらく私たちが裏切られたのは、親友像だ。
ずっと一緒にいて、つらいときはなぐさめあう。それができないのだから、親友ではないと、思い込んでいたのかもしれない。と、最近になって思う。

けれど互いを思いやる余裕がないときも、理解ができないこともある。相手に対する印象は思い込みかもしれないし、時間がその人を変えてしまうことも、あるだろう。

だからちゃんと伝えて、話し合った方がいい。「私だって休みたいわけじゃない」「一緒にいられなくてごめんね。だけど、少しくらい話してくれてもよかったのに」と言えなかった私は、親友とケンカすらできなかった。

現在の私は、友だちと呼べる相手はいても、親友とは呼ばないことにしている。体調不良で中学に行けなかった話も、最近ようやく人前でできるようになった。いまだに、かつての親友を思い出すと胸が痛くなる。

あのときは、ごめんね。