彼女と仲良くなったのは、小学校4年生のとき。クラスと部活動が一緒になったことがきっかけだった。彼女は、優しさ、また芯の強さを持っていて、まわりの人たちを自然に和ますステキな笑顔の持ち主だ。彼女と友人だからこそできる遊びや経験をたくさんしてきた。

例えば、大きなショッピングモールやファストフード店に行くこと、交換ノートをしたこと、公園で将来のことを語り合ったこと、手作りのお弁当を持って自転車で遠出したこと。振り返ってみれば、小さなことだけれど、幼かった私たちには、とても大きな経験だった。
「一緒だから」と勇気を持って挑戦できた、何物にも代えられない大切な思い出。

彼女の担任が放った心無い言動が原因で、彼女は突然不登校になった

私たちが中学2年生になった春頃。男女問わず誰もが多感になる時期に、それは起きた。彼女のクラス担任が放った心無い言動が原因で、彼女は突然不登校になった。聞けば、彼女の夢をクラスメイトの大勢の前で、傷つけた言動だった。

ただ許せなかった。思いつく限りの方法で、私は学校へ抗議した。「彼女にまた学校で楽しい時間を過ごしてもらえるようになってほしい」と自分の担任に考えを伝えた。時間がある限り、彼女と話したり遊んだりと、少しでも元気になってもらえるようにできる限りのことをやってみた。

すると、2年生の終わり頃、自分のクラスの教室には入れなかったが、少しずつ学校へ来てくれるようになった。また、私の思いが学校にも通じたのか、3年生になったタイミングで彼女と同じクラスになった。

不登校で教室に入れない経験のある彼女は、「キモイの対象」となった

中学校3年生の新学期を迎え、彼女が不登校になってしまった理由をほとんど知らないクラスメイトたちの中で、「中学校最後の1年は楽しく一緒に過ごせる!」と、その時は感謝と嬉しさとでいっぱいになった。

だが、多感な時期というものは、なぜか人を残酷にする。詳しい理由を知らずとも、不登校で教室に入れない経験のある彼女は、「キモイ」の対象となった。私はそんな発言をするクラスメイトに対して、「彼女を知らないくせに、偉そうなことを言わないで」と戦った。

すると、私は“煩わしいことを言ってくるやつ”と思われるようになっていて、私自身も「キモイ」と言われる対象になった。クラスメイトの嫌がらせや悪口は日常茶飯事でも、毅然とした態度で接した。全く気にしていなかったといったらウソになる。傷ついて学校に行きたくないと思ったことも何度もあった。それでも、負けてはいられなかった。

大勢の前で傷つけられても、また学校に来てくれた彼女は本当に強い!

理由はただ一つ。「あなたがいるから」と一緒に過ごしてくれる彼女がいたから。一緒に授業を受けられる時間があったから。私は、なんだか一緒に戦っている気持ちであって、でも、ただ嬉しくて、楽しかった。

私は嬉しくてしょうがなかったけれども、彼女にしてみれば、学校に行くこと、教室に入ることは、勇気のいることだったと思う。大勢の前で傷つけられても、また学校に来てくれた彼女は本当に強い。

彼女が私を強くしてくれた、学ぶきっかけをくれたと思う。“人、モノコトに対し、本当に理解していないのであれば、その人やモノが行く先を妨げるようなことは言ってはいけないし、やってはいけない”と学ばせてくれた。これは、今の私のベースでもある。

嫌がらせをしてきたクラスメイトの名前や顔を今でも思い出せる。多感な時期だったからしょうがないと思う。「あなたは何を知っているの」と言い続けた私の言葉を、少しでも理解してくれているならば嬉しい。これからも私は、目の前にあるモノコトを表面的に見て判断しない人でいる努力を続けたい。