最近、休日はお母さんと過ごしている。
精神的に不安定で病院へ行っているのだけれど、主治医に「お母さんと過ごす時間を増やしてみたらどうかな」と言われて、土日はお母さんと過ごすことにしている。

今は京都で暮らしているけれど、実家は大阪。お母さんは「京都が好きだから」と言って、仕事で疲れているのに毎週末京都に来てくれている。

仕事で忙しかったお母さん。幼稚園の頃のお母さんの記憶があまりない

お母さんが来ると、1日が長い。楽しいのに、時間が長く感じられるから、変な感じがする。
朝起きて、パンを食べて、散歩に行ったり、映画を見たり、カフェに立ち寄ったり。
お互いがオススメの映画を、毎週交互に見ている。
ときどき、東京に住んでいる姉に電話をして、3人で話しながらまったりとお茶をしてみる。
お母さんと休日にまったりしているのは、なんだか変な感じがする。

お母さんは忙しい人だった。
わたしが幼稚園に上がる年にフルタイムの仕事を始めて、わたしはよく近所の祖父母の家に預けられていた。幼稚園のお迎えも基本的に祖父母で、わたしは幼稚園の頃のお母さんの記憶があまりない。

小学校に上がっても、お母さんは忙しく仕事をしていた。わたしは学童に預けられて、みんなと勉強をしたり遊んだり、1人で本を読んだりして過ごしていた。
中学、高校になってもそれは変わらなかった。

お母さんに迷惑をかけたくなかったけれど、ずっと一緒にいたかった

お母さんは仕事が1番好きなんだろうな、と思っていた。休日も、呼ばれれば職場に駆けつけて仕事をしていた。
そんなお母さんが誇らしくあると同時に、寂しかった。わたしからお母さんを奪っていく「仕事」というものがとても嫌いだった。

幼稚園の頃、お母さんと離れたくなくて「幼稚園に行きたくない」と何度もごねた。熱を出せばお母さんが迎えに来てくれると知って「熱が出た」と言い張って体温計を脇に挟んだ。

小学校になって自分の意思が伝えられるようになると「学校へ行きたくない」と言うようになった。実際学校も嫌いだったけれど、それと同時に、お母さんとずっと一緒にいたいという思いがあった。

けれど、「お母さんとずっと一緒にいたい」とは言えなかった。仕事に、家事に、子育てに、毎日忙しそうに働いているお母さんに迷惑をかけたくなかった。
「なんで行きたくないの?」と聞かれても、わたしはただ黙って首を振っていた。

あの頃強く望んでいた「お母さんと一緒にいること」が今、叶った

そんなお母さんも50代半ばになって、転職をした。新しい職場は、程よく休みが取れて、休日出勤なんてしないところだった。

それから、お母さんとわたしは遊ぶようになった。休日に2人で出かけたり、家で1日ごろごろしていたり、やることはそんなに大したことではないけれど、あの頃強く望んでいた「お母さんと一緒にいること」が、20年近く経ってから叶ってしまった。

お母さんとずっと一緒にいたいと思っていたほどお母さんが好きだけれど、もちろん、干渉されすぎてつらい、と思う時期だってあった。

だから、今、わたしが京都で暮らして、お母さんが大阪で暮らして、2人がお互いの居場所を行き来するくらいの関係が、1番ちょうどいいんだと思う。

お母さんが来たときに2人でお茶ができるように、ティーポットとマグカップを新調した。
まだまだ、お母さんと過ごす休日には慣れなくて、とても楽しい。これからも、続いていけばいいな、と思っている。