「あなたは4年後どうしたいですか?」
今の会社に聞かれて困った質問だった。
常に「いま」を生きるのが精一杯だった。他人にどう思われるか?が一番大切だと教わってきた人生だった。

「お姉ちゃんを立てなさい」と言われ続け、姉には嫌われていた

家といえば安らげるはずの場所なのかもしれないが、私にとっては常に緊張しなければならない場所だったし、逃げ出したい場所だったから。
母、父、姉。それが私の家族だ。
私以外はみんな第一子。「かわいがられたでしょう」といわれることも多いけれど、残念ながら違う。
姉がいる時は姉が優先。次点に父。母。そんな理由で優先されることなどない。「お姉ちゃんを立てなさい」と言われ続けた。
どういうわけか知らないが、物心ついた時には姉に嫌われていた。咳き込む姉をさすると、「触るな、汚れる」と言われ、すごい勢いで払いのけられた。私は一応、毎日お風呂に入るし、清潔には気を配っているのに。
それを聞いた両親は「まあ、お姉ちゃんだから」と言い出す。破綻した理論だが、うちにある掟だ。

私の誕生日。この日は一応、私の食べたいものを聞いてくれる……とは、なっている。
私はイタリアンが食べたかったけれど、「えー、中華」という姉と父の意見でその年の誕生日は中華になった。どうせ、私の意思など無視されるのだし、と諦めるようになり、みんなの食べたいものを言うようになった。
いつの間にか、私は「青椒肉絲」が大好きなことになっている。確かに好きではあるけれど、本当はみんなと同じように麻婆豆腐が大好きなのだ。みんなが食べるから遠慮してあまり食べないだけだ。青椒肉絲を頼むのは、みんな少しずつ食べるのに誰も頼まないからだ。
そんな可愛げないことを内心で思っていた。

自分の意思をほとんど口にしないことに気づいたのは、親友だった

そんなことを繰り返すうちに、私は他人の目ばかり気にして、自分の意思をほとんど口にしない人間になっていた。そんな私に気づいたのは親友だった。
ある日、いつものように、ごはんを食べに行こうと言われた時。
親友は焼肉に行こうと言った。焼肉は大好きだけれど、数日前に食べたばかりだったから違うものが食べたかった。
親友は見透かしたのか、「今日は!る。からもなに食べたいか聞きたい」と言ってきた。
「ごめん。違うものが食べたいけどわかんない」
「る。はいつもなに食べたいか、なにしたいか言わないよね?私がいつも振り回してるんじゃないかって思ってた」

私は親友が大好きだし、親友とすることは基本なんだって楽しい。そう思ったから10年以上付き合いがあるのだ。その親友にそんなことを言わせた自分が嫌だった。
そして、ずっと、家族に合わせてきたこと。他人にどう思われるか、が一番だったこと。そのうち、自分のことがよくわからないことを話した後、少し涙ぐみながら親友は、
「これから、る。がなに食べたいか。なにしたいか。聞くからさ。る。が答えるまで待つし、一緒に考えるから。だから我慢しないでよ」
と言って、トレーニングと称して私のやりたい事などを私が話すまで待ってくれる。

常に私は二の次、三の次。家を出たのを機に、少し距離をあけたい

念願かなって、今年、家を出られた。
母は愚痴を言いたいのだろう、以前よりラインがよくくる。3回に1回くらいの割合で返している。
正直、母と話すのは気が重たい。中高一貫の中学でいじめを受けていて、辞めたいと話した時も「違う高校にいったらお金がいくらかかると思ってるの?」だったし、部活の県大会で1位になった時も「そんなことより、勉強しなさい」と言ったし、今の会社に入社直前、入院した時の第一声が「会社クビにならないのか」だった。

常に私は二の次、三の次だった。
母たちには感謝している。だが、もう許して欲しい。私は27年かけて、母たちの望む私でいてきたつもりだ。これを機に、少し、距離をあけたい。

私のやりたい事、したい事、行きたい道がわかるようになってきた。母たちにまた何か言われたら、私はまた少しずつ「取り戻した私」を見失ってしまう。
少し、時間は必要かもしれない。私はなくした自分を探しにいくことにする。
見つかった時、私は家族と、全力で向き合うつもりでいる。
それまでは、自分の気持ちにしっかり向き合うことにする。