「顔面偏差値3.9点。10点満点中ね。笑」
「今日の服、襟ぐり開きすぎじゃない?」
「『今日は』可愛いじゃん」
「足出しすぎじゃない?」
「この写真、少し下膨れだね」
私が男性社員に言われてきた言葉。こういった言葉達を投げかけられた3年間は、自分の好きな格好や、「女性らしいと思われること」を封印して生きていた。むしろ、それが悪いことのように感じていた。

報われる日を夢見て地味に生きていたら、世界はコロナで大変なことに

そしてなるべく地味に、なるべく目立たず、なるべく女性らしくないよう。嫌な言葉を投げかけられないように。それでも人には優しく、良い行いを日々積み重ねていれば、いつか自分を認めてくれる人が現れるだろう。いつか報われる、いつか幸せになれると心のどこかで思っていた。
そうやって3年ほど過ぎた時、世の中はコロナで大変なことになってしまった。
私は自分の存在すら肯定も出来ぬまま、部屋で一人寂しく干からびてゆくのかもしれない。本気でそう思い始めた時、追い討ちをかけるように、近所で火事が起きた。緊急事態宣言下の休日、昼に目を覚まし、ご飯でも食べようかと思った時だった。
「きゃー!助けて!」という声が聞こえ、窓を開けると、80メートルほど先にある家が爆発した。
ボンっという音、真っ赤な炎、ぬるい熱風がふーっと頬を撫でた。
立ち尽くしていると、瞬く間に炎は家を包み込んでしまい、電線が燃え始めた時、私の家も燃えるかもしれない!と、急いで外に出ると、少し焦げた犬を抱きかかえた女性が前を通り過ぎ、心臓がギュッとなった。いつ死ぬかなんて本当にわからないんだ。
風向きが逆だったので、私の家まで火の粉は及ばなかったものの、その夜は寝付けなかった。

神様はいないのかも。そう思った瞬間、自分を肯定するパワーが湧く

深夜、まだ音がするので窓を開けてみると、火事のあった家の隣は教会で、電線を復旧する業者のクレーンの作業灯が煌々と十字架を照らしており、真っ黒になってしまった瓦礫との対比に、ふと、神様なんていないのかもしれない、となんとなく思ってしまった。
その瞬間。
もう落ち込んだってどうしようもなくないか?
私だっていつ死ぬかわからなくない?
だとしたら、一体私は何をしているんだ?
神頼みで色んなことがどうにかなる訳ではないし、自分のことは自分でなんとかするしかなくない?
負のパワーで落ちてしまったブレーカーを復旧するかのように、突如、自分を肯定するパワーが湧き上がって来たのだ。今まで抱えていた負の感情がこれをきっかけに怒りとなり、それを原動力に自らを鼓舞し始めたのだった。

「自分らしくあることを肯定できる価値観」を自分の軸に持てば良い

思い立ったら何かせずにはいられず、BAの友人にzoomでお化粧を教えてもらい、本当に着たいと思っていた洋服を買い、職場に109の店員か?という格好で出勤し続けた。
私は、底辺の自己肯定レベルから一転した。
他人になんと言われようが、今生きているんだし、今日が一番若いし、今日もMAX可愛いで生きている私の、谷間が見えようと、太腿が見えようと、あなたの猥雑な主観で、私の若さをとやかく言う責任はあるのか?
自分の存在価値を評価できるのは他人じゃない。女性らしいとか、男性らしい、とかそういうことも関係ない。「自分らしくあることを肯定できる価値観」を自分の軸に持てば良いのだ。
今日も私は私の可愛いマイベスト記録を更新し、毎日を楽しく幸せに生きている。