たとえば『美女と野獣』の野獣や『かえるの王さま』のかえる。物語の最後には本来の自分へと“回復する人”たちだ。読者のわたしたちにとっては、“変身”に見えていても、それは、彼ら自身にとっては元通りの姿に“回復”することなのだ。
『ドール着ぐるみファッションモデル』である橋本ルルさんなどを手がけたファッションデザイナのhitomi komaki(millna)さんが「アバターを着ることは、キャラクターへの『変身』ではなく、本来の私への『回復』であると考えています 選べなかった身体からあるはずだった私への回復」とTwitterでつぶやいていた。偶然タイムラインに流れてきたその言葉に、スワイプの動きを繰り返していた指が止まったのを覚えている。
外出自粛になり、クローゼットには数年前に買った見慣れた服ばかり
外出自粛の時代になって、いくつも季節が過ぎた。大きなイベントの中止やテーマパークの休業などで、休日に着飾って出かけることが格段に減ってしまった。大好きなイースターやハロウィンのイベントに参加するどころか、開催すらされなかったものも多い。
好きなブランドの新作ワンピースや靴に心が躍っても、「アンタそれどこに着て行くの?」「履く機会なくない?」と心の中の悪魔なのか、天使なのかわからない存在が嘲るように囁いてくる。
たしかに。一度手に取ったハンガーを、そっとラックに戻すことが多かったと思う。いつのまにか自室のクローゼットには、数年前に買った見慣れた服ばかり並んでいた。
職場では、異動をきっかけにカフェのキッチンの仕事を手伝うことになって、毎日の身だしなみの制限は増えてしまった。努力して伸ばした髪は、必ずポニーテール。月に一回、デザインを変えていたジェルネイルもオフすることにした。今まで仕事中つけていた腕時計もアクセサリーも、カフェ業務への切り替えのときにいちいち外すのが面倒で、一切身につけなくなった。
コロナ禍のモヤモヤの正体。わたしは今、本来の自分から乖離している
そういう日常を送ることになって、ささいな楽しみをいくつも奪われてしまったことに、少しずつ気づいていった。休日、出かける先に雰囲気を合わせたコーディネートを考えるのが好きだった。一緒に遊ぶ友人と、色の組み合わせを揃えるのが好きだった。
仕事の日も、長い髪を巻いて、おろしておくのが好きだった。大きなピアスを付けるのが好きだった。
「自分らしくない気がする」millnaさんの“変身”と“回復”についてのツイートは、コロナ禍でのモヤモヤの正体を見事に言い当ててくれている気がした。わたしは今きっと、本来の自分から乖離してしまっているんだ。
装いのことだけではない。多分、この考え方は自分の将来とか、理想像とかにもあてはめられる。
絶え間ない努力の原動力は「回復」をめざすエネルギーにもなるんだ!
明るくはっきりと大きな夢を言葉にしつづけている友人がいる。わたしはいつも彼女たちのことを、勇気があってすごいなあと、思って相槌を打っていた。
わたしは“なりたい自分”って、この歳になってもよくわからない。何より、大層な理想を語ってあとで失敗するのが怖い。
でも、彼女たちにはそうやって語る夢の先に、本来の自分の姿が見えているのだろう。絶え間ない努力の原動力は、“回復”をめざすエネルギーなのだ。
毎日、本来の自分に戻るための努力をしよう。そう思うと、なんとなく目の前の霧が晴れた気がした。着飾ることと、仮面をかぶることは同じではないのだ。装うことで本来の姿に戻って、救われる自分がいることを忘れない。