リセットする。
去年からつけはじめた3年日記の最初のページ。「2021年のはじめに…」の欄の一行目に書いた言葉だ。
2020年、私はもっとすごい人間に、活動的な人間になるはずだった。

女性が活躍する社会を期待し、私がそのパイオニアになることを夢見て留学計画をキラキラと語っていた2020年1月。世界中に“あいつら”が流行し、私の計画は白紙になった。
本来であれば、2020年の夏から研究留学を始め、今頃はヨーロッパの人々や街並みに馴染んでいたことであろう。徐々に手応えを感じ、成果を出し、これからの進路について前向きに考えていただろうと(そうであってほしかったと)思う。

そんな夢とは裏腹に、2020年終わってみると、「私は何をしたのだろう?」と私を嫌いになる要素たっぷりの1年間であった。

人生初のぐうたら生活。自分が思っていた以上に私は完璧じゃない

幼い頃から沢山の習い事をしていた私はスケジュールを埋めるのが当たり前で、家でのんびりしていることなんてほとんどなかった。
おそらく記憶にある24年間の中で、もっともぐうたらしていたのが2020年だったように思う。なんなら人生初のぐうたら生活である。

勉強へのモチベーションも上がらず、「まあなんとかなるか」という楽観的な私と「このままだとやばい」という不安に襲われる私が、頻繁に争いを起こしていた。
頑張れない私が嫌だったし、こんな状況下でも成果を挙げている人を見ると、劣等感でさらに自分に失望もした。

しかし、これも私である。全ては私の「思考」が根本である。

ああそうか、私って思っていた以上に完璧じゃない。
私だって人間だ。ぐうたら上等。文句あるのかコラァ。

褒められることに生き甲斐を感じ、人生のほとんどを優秀者として生きてきた私は、ダメな私を受け入れようと咄嗟の自己肯定に走った。できない私、頑張れない私を受け入れる。そんな努力をした。

2020年に学んだことは、私の中にはあらゆる顔を持ついくつもの「私」が存在していること。
自己肯定感が高い私、後先考えずに突っ走る私、アクセルを踏む私、ブレーキ担当の私、人の目ばかり気にする私、自分のやりたいことをやれという私、面食いな私、食欲旺盛な私。
この「私」たちが私の中で争い、協力し、議論を重ね、外部との境界にいる肉体をもつ私に指令を与えている。
こんなに個性豊かな「私」を飼っているなんて大変なことである。労いの言葉の一つくらいかけたいものである。

ぐうたらな私は、それでも「頑張る」ことが好きなのだ

2021年の初めに書いた「リセット」。
予定が崩れ、私のダメさを目の当たりにした2020年。
ぐうたらな「私」はまだまだ中心にいてあぐらをかいているけれど、でもやっぱり、私は「頑張る私」が大好きなのである。

頑張ることは本当にエネルギーがいる。
でも、一度波に乗れば突き進んでいくことができるのが私の良いところである。

もう一度、今やるべきことをやってみなされ。
もう一度、1年前の自分の原動力となっていた考えを思い出してみなされ。
もう一度、自分の人生を考えてみなされ。

今年、私は25歳になる。4半世紀を生きた。あっという間だった。
周りの友達はパートナーを見つけ、そろそろ新しい生活をスタートさせるだろう。
一方で私はまだ学生で、自分の将来を、やりたいことを、進路を考えている。
でもいいじゃないか。それが私だ。
こんなに自分と向き合える時間があるなんて恵まれているじゃないか。
私は私の人生を生きろ。

自分に向き合えた私は今年、私に期待したい

2020年の締めとして年末に引いたおみくじには「潔」という字が書いてあった。
「潔く自分の人生を歩みなさい」
本当にその通りだ。

たまにはぐうたらしたっていい。さぼったっていい。
でも私が一番好きな「私」を忘れないでほしい。
頑張る私に酔いしれる2021年でありたい。
私は私に期待したい。

私の宣言、「リセット」。
この文章を書きながら私は私のことを肯定したかったのかもしれない。もっと私を好きになりたかったのかもしれない。
迷っていたり悲観的な私に酔いしれていたのかもしれない。
嗚呼、私って難しい。

でもね、2021年、きっと最高な私になるよ。