大学一年生のお盆休み、私は人生で初めてファッションショーをした。
発端は、買い物帰りの車内で、歳の離れた従姉が発した「ファッションショーしよう」という一言だった。
舞台は実家の居間で、観客は泊まりに来ていた親戚達。出演者は私一人だけだったが、自分の選んだ洋服を父親から否定されてきた私にとって、自分の選んだ服を人前で着るということは、確かに挑戦だったと言える。

いつの間にかセットになっていた「自分の選択と父親からの否定」

私の父親は、私が手に取る服や靴を事あるごとに否定した。
長さに関わらず、スカートを選ぼうとするといい顔をされなかった。派手な柄や、首元が広く空いた服を持っていくと、見るからに嫌そうな表情をして、服を戻すように私に促した。怒声が飛んでくる時もあったため、私は父親に否定されない服装を選ぶようになった。
落ち着いた色味、首元が見えにくいトップスに、ボトムスはズボンのみ。常に父親の顔を伺いながら服を選んでいたのを覚えている。
また徐々に、父親が否定する範囲は服装だけではなく、進路や趣味にも広がっていった。父親にとってはそれが愛だったようだが、私からすれば束縛でしかなかった。当時の私にとっては、家と学校だけが世界だったから、それらをただ呑み込んでいた。
そこから「自分で選択すること」は私の中で「父親から否定されること」と同義になり、自分で選ぶことを避け、ますます受け身の人間になった。

そんな私を、従姉は帰省する度にショッピングモールへ連れ出した。その目的は、私の服を買うことである。
オシャレな従姉は「お父さんには内緒で買ってあげるよ」と言い、普段は買えないような服を勧めてくれた。しかし、ここでも私は「自分で選ばないこと」を選び、落ち着いた色のズボンを手に取りカゴに入れていた。

「本当に?」と尋ねてくれる従姉は「恵まれた人」だと妬ましかった

すると従姉は、「本当に?」と問いかけてきた。この問いは服を選ぶ時だけではなく、ファミレスでメニューを選ぶ時、進学する学校を選ぶ時など、私が何かを選択する場面になると必ずあった。
私が返答を誤魔化そうとしても、根気よく従姉は、私の気持ちを確かめようとした。
「それは本心なの?」と。
年に一度しか会わないにも関わらず、私のことを気にかけてくれる従姉。こんな人いないのに、私は従姉のことを妬んでいた。正確に言えば従姉が、親に制限されず、自由に服を選択できる環境に生まれたことを羨んでいた。自分の置かれている環境と比べて、一方的に羨望を向けていた。

そんな偏った思い込みは、大学一年生の夏休みに覆されることになる。
帰省した従姉と買い物に行く前、従姉に「大学生になったんだし、髪染めたりしないの」と尋ねられ、そこで私は「やりたいけど、従姉には出来ても私には無理だし」と拗ねてしまった。すると従姉は、初めて染髪した時のことを話してくれた。

親と喧嘩した末に、勝手に髪を染めたのだと従姉は言った。てっきりオシャレに関して、何でも親に許されているのだと思っていたから、この話には驚いた。従姉の服装は、自分で選び取ったものなのだとそこで気づいた。
それに続けて従姉は「私も親に怒られたけどさ、大丈夫だよ」と言った。怒られるのはちっとも大丈夫じゃない。でも、従姉が親と喧嘩してでも染髪することを選んだように、私も自分で選択することに挑戦したい、という思いが芽生えた。私が従姉のショーの提案を受け入れたのはこのためだ。

あこがれだった服に始めて袖を通した 私のためのファッションショー

その日の買い物で私は初めて、興味のある服を選んだ。
レース生地で、首元が空いた半袖のトップスと、マットな生地で深緑のロングスカート。どちらも憧れはあったが手を出せずにいたものだ。
買い物を済ませ家に帰り、従姉が居間にいる親戚達に声をかけると、夕飯支度の包丁の音も、ゲームのBGMもその時だけは止まって、みんな私を見ていてくれた。そして、私が新しい服に袖を通すとショーが始まった。

移動したり、ターンしてみせる私に対して親戚達は「かわいいね」「似合ってるじゃん」などと口々に褒めてくれた。たとえそれがリップサービスであっても嬉しかった。その場を仕切っていた従姉も、「ね、かわいいでしょ」と何故か誇らしげだった。
父親の反応は、案の定芳しくなかったが、この夕飯までの短い間のショーによって、自分の気持ちの輪郭が浮かび上がってきたような気がした。
この出来事があっても私は、未だに「選択すること」を放棄してしまう時がある。私の父親からの呪縛は、まだ解いている途中である。