今でも九年前の元彼が忘れられない。この事は誰にも言っていない。
口に出してしまうと、悲しみや後悔に押し潰れてしまいそうだからだ。
しかし私には今、結婚を前提に付き合っている彼氏がいる。
二十代で様々な男性を見てきたが、元彼以上の人に出会った事がない。
それでも二十歳の私は、別れて一人になる必要があったのだ。

当時を振り返ると今でも胸が苦しくなる

私は虐待を受けて育った、所謂アダルトチルドレンだ。当時はカウンセリングに通う前で、彼に依存するメンヘラ女だった。連絡は四六時中取り続けたいし、彼の予定も把握しないと気が済まなかった。付き合い始めた高校一年生から別れた二十歳まで、それはずっと続いた。

高校を卒業し、実家から一刻も早く逃げ出したくて、彼の実家へ居候した。
彼のお母さんに生い立ちについて打ち明けると、何も追及もせず、「うちにおいで。」と言ってくれたのだ。そのまま二年もお世話になった。
絵に描いた様な仲良し家族で、私にもお年玉をくれたり、誕生日にはみんなでケーキを食べてお祝いもしてくれた。
彼らは実の両親よりも暖かい心で、実の娘の様に私を愛してくれた。

別れて九年も経つのに、こうして当時を振り返ると今でも胸が苦しくなる。
どんなに優しくされても、彼を試すような言動をしたり、彼の前で自殺しようとしたり、本当に沢山振り回した。
「何もしてあげられなくて悲しい。」涙ぐむ彼の顔が、今も忘れられない。彼は五年間も見捨てず一緒にいてくれた。

私は知ってしまったのだ。世界はとんでもなく広い

二十歳になり成人式を迎えた。久々に会う地元の友人達。社会人として働いている子もいれば、大学生活を楽しんでいる子、既に結婚と出産を経た子までいた。
帰宅後、ふと不安な気持ちに襲われた。私は一体何をしてるんだろう?フルタイムで働けず、彼の家に居候し、生活も心も自立できていない。本当にこのままで良いのだろうか。
二十歳という節目を迎え、この状況を変えたいと思った。一歩踏み出し、弱い自分と決別したい。

まずは何かに挑戦しようと思った私は、生まれて初めて一人旅にでる事にした。選んだ場所はニューヨーク。思い立ってからはあっという間だった。航空券を買い、宿を予約し、パスポートを作り、スーツケースに服を詰め込む。初めは不安げな彼だったが、生き生きと準備を進める私を見て、快く送り出してくれた。

緊張と興奮で眠れぬ十三時間を過ごし、ニューヨークに着いた。タクシーに乗り込み、拙い英語で宿泊先を告げる。窓の外を見ると、テレビでしか観たことのない景色が広がっていた。
日本人専用のゲストハウスは、様々な人で溢れていた。ダンス留学しに来たキャバ嬢。現地の大学に通いながら、このゲストハウスを運営している女子大生。独身最後の一人旅を楽しむサラリーマンに、語学留学に来たキャリアウーマン。

私は知ってしまったのだ。世界はとんでもなく広い。人生の選択肢は沢山ある。しかもそれは恐れなければ、自分で自由に作り出す事ができるのだ。もっと知らない世界を見たい。もっと知らない私に出会いたい。

このままだと彼の優しさに甘えてしまい、依存的な私から抜け出せない。帰国後すぐにルームシェアの募集を見つけ、彼の家から引っ越した。
フルタイムでアパレル販売員に挑戦し、新しい友達もできた。新しい友達が連れてってくれる新しい場所。初めての経験や出会いを繰り返してく内に、依存心も彼への思いも徐々に薄れていった。

いつか味わってみたい。無償の愛を注ぐ悦びを

その後、彼は二児の父になった。子供も奥さんも溺愛している。
一方で私は、やりたい事は何でも挑戦し、行きたい場所はどこへでも行った。周りも驚くほど、好奇心に溢れた人間に変わった。
それでも変わらない事がある。どこで何をしていても、心のどこかで孤独な自分がいるのだ。心の底から何かを楽しんだり、夢中になれた事はまだない。

こんな私でも、いつか温かい家庭を築けるのだろうか。生活も精神的にも自立し、両親に振り回されなくなった今でも自信が無い。
親と同じ事を繰り返してしまう可能性があるくらいなら、子供を産まない方が良いのでは…とも思う。それでもいつか味わってみたいんだ。無償の愛を注ぐ悦びを。一片の曇りもない穏やかな心を。