「僕が教師になったのはね、きみのような子を助けたいと思ったからなんだよ――」
私の恋が始まらない理由。それは最大にして、たったひとつ。
好きな人が担任教師であること。厳密には担任教師で“あった”こと。
いつもニコニコしていて怒らない、穏和なK先生への思い
事の始まりは高校2年のときだった。私は4組で、仲の良い友達が3組。その3組の担任教師が、のちに私が恋することとなる先生――仮にK先生とする――である。
3組に仲の良い友人がいた私は、しばしばそちらに遊びに行っていた。となればそこの担任であるK先生とも話す機会が多くなるのは当然で、おそらくK先生としても自分の担任ではない生徒が紛れ込んでいるのだから、多少なりとも「また来てるな」と思ったことだろう。
そんなわけで、私はそのときからK先生にいち生徒として気に掛けてもらえていたように思う。
転機となったのは高校3年に上がったときであった。クラス自体大きく変わることはなかったのだが、私は3組に組み込まれたのである。仲の良い友人や担任教師もそのまま3組だったため、高校3年は仲良い友人と同じクラス、K先生が担任教諭となった。
K先生は現代社会を専門とする社会教諭で、当時の年齢は30代前半ほど。積極的に話すタイプではなく、私たちの話を聞いてはのんびり頷いているような人だった。
ゆったりしていて、普段からニコニコ笑っていて、怒ることは滅多にない。生徒が授業中に寝ていても当人の机をコンコンと叩いて起こそうとするのみで、要するに……穏和な人なのだった。
「僕が教師になった理由はね……」先生の実体験を聞いて後悔
最初こそ「良い先生だなあ」と思っていた私だったが、さて、いつから好きになったのかは覚えていない。気付けば放課後は『受験勉強』と称してK先生のいる社会科準備室に向かい、教科書を広げてあれこれ教えてもらいながら会話したり、悩みを聞いてもらうようになっていった。
ところで私は軽い鬱病持ちで、高校3年ともなれば『受験』という壁にひどく悩まされ、常に自己嫌悪と希死念慮に苛まれていた。つまり上記した『悩み』というのはこの部分が大きいのである。
ある日漠然と死にたくてどうしようもなくなった私はいつも通り社会科準備室に向かい、ぽろぽろと自分の思いを吐露したのだった。涙が溢れ出て止まらなくなり、到底好きな人に見せられるような顔ではなかった。震える声で何度も「死にたい」「消えたい」と呟いた。
そうしてK先生は静かな優しい声で、こう言ったのだった。
「僕が教師になった理由はね、今まで誰にも言ったことがないのだけれど……きみみたいに苦しんでいる子を助けたいと思ったからなんだよ――」
この話はK先生自身の実体験をもとに話され、先生もあまり公にしていないようだったので割愛させていただくが、私は先生の話を聞いてひどく後悔したのである。私はこの大好きな先生に苦しい思いをさせまいと、彼の前で二度と死を願うことはしまいと心に決めたのだった。
大好きな先生を困らせたくなくて「好き」は言えない
バレンタインデーはチョコレートを渡すのに社会科準備室の前を30分くらいうろうろして、ようやく渡すことができた。ホワイトデーのお返しをもらうこともできたが、日持ちする食べ物だったためしばらく観賞用となった。
卒業から数年経った今でも告白はしていない。連絡先は知っているので今でも1年に1、2回ほど連絡を取ることはあるが、あの忙しく優しく、且つ大好きな先生を困らせてしまうのではないかと思うとどうにも「好き」という言葉は重たくなる。
スマホのなかに、今でもK先生の写真が1枚だけ入っている。その写真の笑顔を見ては、「ああ、やっぱり好きだなあ」としみじみ思うのである。
『好き』という思いは溢れこそすれど、それを伝えたとき、K先生にいったい何をもたらすだろう。私はいつだって伝えたいけれど。困らせたくないという一線が延々と伝えることを拒み続ける。
こうして私の恋は始まらず、終わることもないのだ。