あれは、小学校高学年だった。
消毒の匂いがツンとくる白い部屋の一角で、心配する私にママが言う。
「もうすぐ、良くなるからね」
その言葉を信じて、ママの退院を心待ちにしていた。
だからママに会える日は、「退院したら、一緒に見よう!この映画すごく感動したから
ママと見たいんだあ!」といつも楽しい未来の話をしていた。

必死に両手を握って言葉を紡ぐと、ママは切なそうに笑った

しかし、会うたびにやつれていく身体、抜けていく髪の毛、虚ろな目。
看護師さんたちが忙しなく動いている中、白い廊下で、わたしは父に告げられる。
「ママ、もう死んじゃうからな」
「…え?」
私と弟は、理解はできなくとも心が痛んで泣き叫んでいたのを覚えている。
ママが亡くなる寸前、わたしはどうしても会いたくて、大人たちの了承を得て合わせてもらった。
「ねぇ、ママ?」
ママは涙を流していた。必死に口が動く。苦しそうだった。
「(ごめんね)」
わたしは横に首を振って「ううん、もう大丈夫だよ。もう、楽になっていいよ、今までありがとう、大好きだよ」
泣きながら必死に両手を握って言葉を紡ぐと、ママは切なそうに笑って「(あいしてる)」と息を引き取った。

わたしはその後、母に対して怒りを覚えた。
それは「あの時どうしてすぐ良くなるなんて嘘をついたんだ」という怒りだ。
父にそれを言うと、「お前は馬鹿か!!まだ物心もついてない子供に、そんなこと言えるわけないだろう!!優しさだろうが!」と怒られた。
そんなの知らない。わたしは子供ながらに嘘をつかれている違和感に気づいていたし、母が亡くなってすぐ思ったのは「なんでもっと早く、本当のこと言ってくれなかったんだろう。言ってくれたら生きている時間にもっと色んなこと話せたし、大事にできたのに。水くさい。かっこつけてんなよ。子供扱いするな!!」という憤りだったのだ。
それからわたしは、「優しい嘘は自己満足でしかない」ことを知る。

父を一生恨むし、忘れることはない。最後に父が放った一言は

そして、次に訪れたのは大好きなおばあちゃんの死だった。
うちは貧乏だったので、入院ができずに自宅療養だった。
そして、わたしは気づいた。おばあちゃんの身体の痣に。
「ねえ、ばあちゃん、ここどうしたの?すごく痛そう…」
すると、ばあちゃんは怒りを堪えたような顔で言った。
「柚希、このことはばあちゃんとお前の秘密にしてくれるか?」
「え、どうして?」
「これをお父さんに言ったところで、どうにもならないことだからだよ」
「うん? わかった。」
「実は、あの女(父が連れ込んでいる女)に、ぶたれてるんだ」
「え、え???ほんとに、言ってる?」
「ほんとだよ。でもばあちゃん我慢できるから、誰にも言っちゃだめだよ」

わたしは怒りを隠しきれず、父に言った。
すると父はバツが悪そうな顔をして、「そうか」とだけ返した。
その後の対処を一切せずにいたのも、わたしは一生恨むし、忘れることはないだろう。

そして最後の最後で父が自分の母親に放った一言は、
「ダラダラ生き続けられても迷惑なんだよ、とっとと死んでしまえばこっちも楽なのによ」
直接言わないにせよ、それはわたしの「大人」への目線が一気に変わる瞬間だった。

子供ができたら、「お母さんみたいな人に」と思ってもらいたい

わたしが成長してなりたいと思っていた「大人」は、みんな自分のことが最優先の、都合の悪いことがあれば簡単に裏切る、冷酷な人間たちだった。
そして、子供は非力で、助けたい人も自分の力じゃ助けることができないのか、という自分への未熟さすら、悔しくて耐えがたかった。
おばあちゃんが亡くなった後、わたしが女と家に二人のとき、虐待を受けたことがあった。
怖くて震えながら逃げるように知り合いの大人に電話をした。
「あの、!!今、殴られて、痛くて、家に誰もいなくて、どうしたらいいかわからないんです!!助けてください!!お願いです!!!」
しかし、その返事はまたもや冷めたものだった。
「え、もうその人とうちは関係ないので……そっちのことはそっちでどうにかしてくださいよ」

それから、子供のわたしは、数々の大人の嘘と裏切りに幻滅して、そんな大人になるまいと、今を生きている。
わたしがいつか、結婚して子供を産んだときには「お母さんみたいな人になりたい」と思ってもらえるような人間になりたい。

例えば、子供が勝手に私のお財布からお金を抜いたとするなら、それを頭ごなしに叱るのではなく、「どうして抜いたのか」を聞ける人になりたい。
わたしは過去に父の財布から、お金を抜いたことがある。
その理由は「友達がお父さんとお母さんが喧嘩ばかりしていて落ち込んでいて、コンビニでお菓子をたらふく買って笑顔にさせたかったから」だった。
わたしが母なら、「今度その子うちに連れてきて一緒にごはん食べようか。でも勝手にお金を抜くのは、今後しちゃいけませんよ」と言うだろう。

だから、そんな温かい人間になりたくて、今日も自分と正々堂々向き合って生きている。
まっすぐに。正直に。自分の心にも、相手にも嘘を一切つかずに生きている。
もちろん離れていく人もいるけれど、離れていかない人とは固いもので繋がっているし、お互い本音を言い合えるので心から笑い合える関係だ。
この「裏切られた」経験は、悔しいけど今の私をいい方向に進めたきっかけでもある。