今日もまた、遅刻する夢で目が覚める。慌てて飛び起き、見た目覚まし時計はまだ2時半。

夢で良かったと安堵するが、寝起きは悪い。ここ数年、私の日常。
数年前、こんな生活を送るなんて想像できただろうか。

就職が決まらないまま大学を卒業。私は実家に戻ることになった

私の大学時代の夢は普通になる事。どこかの会社に就職し、結婚、出産をする。
学生生活は恥ずかしながら、勉強をがんばったとは言えない。成績は普通。4年間続けるつもりで入った部活も身体を悪くして辞めてしまった。

やりたい事、好きな事がよくわからないまま、就活が始まった。
その頃、付き合っていた人と結婚の話も出ていたため、結婚しても働けるようにと、地元の会社を受けた。

あっという間に3月。卒業式を迎えてしまった。
4月から行く所はまだ決まっていなかった。こんなに不安で、気分の晴れない卒業式は初めてだった。

大学生という肩書きも、行く所も、ついでに彼氏と結婚する夢も無くなった私は、実家に戻ることになった。

両親は共働きで、朝8時過ぎには1人になる。
母は私が小さい頃からフルタイムで働いていた。保育園のお迎えはだいたい、最後から2番目。寂しかったが、バリバリ働く母に憧れていた。父は「仁義」という言葉が似合う人で、ちょっとめんどくさいが、尊敬していた。

朝食の後片付けをし、登校する小学生と、近所のおばさんに見つからないように急いで洗濯物を干す。

会社の求人を見つけた。「私、これになる!」と宣言しすぐ応募した

実家に戻ってからも続く就活。早く社会人になりたいと気持ちは焦るが、届くのはお祈りメールばかり。私は社会から必要のない人間なのだろうかと、段々と笑顔も減り、両親とも些細なことで喧嘩をするようになってしまった。支えてくれる人の気持ちを汲めなくなる自分も腹立たしかった。

いつの間にか料理のレパートリーも増え、庭の草むしりまでするようになっていた頃、今の会社の求人を見つけた。不規則な勤務で、デスクワークとはかけ離れた仕事。数ヶ月前なら完全にスルーしていた求人。両親に「私、これになる!」と宣言し、すぐ応募した。

それから毎日、郵便屋さんのバイクの音が聞こえると、急いで玄関を出た。けれど、ポストに入っているのは、ダイレクトメールとピザ屋のチラシばかり。
また祈られるのかなと思っていた矢先、2次試験の案内が届いた。

トントン拍子に進み、むかえた最終面接の日。梅雨らしく、朝から雨がよく降っていた。

いつもより混み合う電車で、面接で聞かれる事を考えていた。ふと、外を見ると、いつもと違う景色。乗る電車を間違えてしまっていたのだ。

試験開始時間まで50分。電車で引き返すと遅刻は確定。急いで電車を降り、半泣きになりながらも、必死でタクシーをつかまえた。運転手さんに最終面接に遅刻しそうな事を伝えると、少々荒めの運転で、着いたのは試験開始10分前。ギリギリセーフ。おかげで試験を受けることができた。

心が晴れない休日があることを知ったからこそ、今に感謝できる

蝉が鳴き始めた頃、ようやく私は、社会人になった。
思い描いていた普通とは少し違ったが、社会の一員として、人の役に立てる事が嬉しかった。両親も喜んでくれた。

父は、よく私の仕事を見にやって来る。恥ずかしい事もあるが、嬉しそうな父を見ると、親孝行できてるかな、と少し誇らしい。

私は数年前まで、休日とはワクワクする日の事だと思っていた。しかし、悩み、心が晴れない休日がある事を知った。

私にとってあの休日はいつもとは違い、特別だった。あの休日があったからこそ、今に感謝できるのだと思う。

だから、しんどい時、挫けそうな時、私はいつも思い出す、あの休日の事を。