生理が来ることって、小学生の頃のわたしにとって「おとな」になる、誇らしいことだと思ってた。

ぼくは女なんだ。女性を意識させられる生理が、すごくいやだ

20代半ば。第一次結婚出産ラッシュ。第二次があるのかは、知りませんが。
わたしは子どもを産みたくない。というより、親になる自信が無い。「誰だって最初はそうだよ」と言うひとがいるかもしれない。でもそういうことじゃない。わたしにはたぶん「愛情・母性」というものが欠けている。

もうひとつ、わたしは「わたし」だけれど、たまに「わたし」であることに違和感を覚える。自分の女性性について、とか、そんな大きなことではなくて、なんというか、こう、感覚的に。「ぼく」でありたいときもあるのだ。

自分の性別に違和感を持ったことは一度も無い。ぼくは女性だ。恋愛対象は男性。もちろん会話をするときの一人称はわたしだ。
だけれども、強く、強く、「女性である」ことを意識させられるのには抵抗がある。

そして、「強く意識させる」それは、大抵、生理が来たときだ。生理周期を予想してくれるアプリから「そろそろ予定日が近付いてきました」と通知が届く度にいやな気持ちになる。
ぼくに生理なんていらないのに。生理に関わる諸々がいやだというのもある。

頭痛、眠気、吐き気、腹痛、目眩、イライラ、肌荒れ、そもそも、股から血が出るということ。でもそれ以上にいやなのはやっぱり「女性」を意識させられることだ。
ぼくは女なんだ、とい感じるのが、すごくいやだ。

生理がくると「私」を認識しなきゃいけない。だから生理はウザい

ぼくは、いつも文字を書くとき、「私」ではなく「わたし」と書いている。これも感覚の問題なのだけど、「私」には他が介在する余地はなくて、「わたし」にはあるような気がするから。「私」は「私」でしかないけれど「わたし」は「ぼく」になり得るから。なんとなく、そういう感覚がぼくの中にある。

だから生理ってウザい。いやおうなしに「わたし」を「私」にさせられる。

高校生の頃、男の子に生理のときって女子はどうしてるのかと聞かれたので、ナプキンをつけるんだよと説明したら、「生理の度にオムツ履くの?」と笑われたことがある。

バカじゃないかと思った。ナプキンだって言ってんだろという気持ちと、たとえオムツを履いていたとしてなにを笑うことがある?
毎月30、31日間、年中無休365日、「ぼく」や「おれ」でいられるお前らはいいよな、と思った。

生理がいやだと感じているひとのために、あえて「ぼく」を使う

生理が来るのが楽しみだ、という女性は「妊娠したかもしれない」という不安を抱えている方を除いて、この世にひとりもいないだろう。
日本の女性の人口、7545万1千人。この中から既に閉経している何万何千人を除いたとしても、多くの女性が生理で苦痛だと思っているはずだ。

ぼくとおなじ理由で、生理がいやだと感じているひともいるかもしれない。そういうひとのために、ぼくは敢えて「ぼく」という一人称を使って、このエッセイを書いた。

ぼくはたたかう。自分の「女性性」と。
ぼくたちはたたかう。男性からの理解の無さと。
ぼくたちは日々、たたかっている。いまこの瞬間も、どこかで誰かが。
負けない。