私は腰が重い方だ。周りの友人みたいに、すぐに思い立って行動できない。人と初めて会った後は、必ずどっと疲労がやってくる。

そんな私だが、会ってしまえばそこそこ社交的だし、会話は楽しめるのだ。この間、マッチングアプリで一人の男性と会ってみた。

マッチングアプリで出会った人と会うことになり、私はそわそわした

腰が重い私は、会うまでにかなり時間をかけてメッセージのやりとりをした。会わなくても、なんとなく文章や使う言葉でその人の人となりはわかるものだ。

面倒くさがりな面もあるので、メッセージのやりとりは1日1回か2回、気が向いたときに返す。忙しいときは1日、2日空いたりもしたが、それは相手も同じだった。そんなやりとりのタイミング、波長が合うところもいいなと思った。

マッチングアプリを始めたときから、自分のストレスになるようなことはしないと決めている。自分のペースを乱してまでやりたくない。そんなことで私は、この人とならなんだか気が合うかもしれないなと思うようになっていった。ありがたいことに相手も私と会ってみたいと感じてくれたようで、すんなりと会う日取りが決まっていった。

約束の日、私は朝からあからさまにそわそわした。いつもどおりにメイクや身支度をしているつもりでも、心はもうどこか違うところにいってしまっているような感覚。それは異性(彼氏)とデートするとき、相手のことを考えて浮かれながら準備する朝と似ているようで違う。

それには顔見知りの人と会うときとは違う、“こわさ”が含まれている。メッセージでやり取りしたとはいえ、実際どんな見た目で、どんな声で、どんな雰囲気の人かは会うまでわからない。自分がいいな、と思ったから会うと決断しても、やっぱり“実際に会う”というのはちょっとした賭けだ。

それでも、もしすごく変わった人が来たとしても、私の思っていたような人じゃなかったとしても、相手に非はない。まぁそれは見る目がなかった私の自己責任だな、と半ば開き直りながら待ち合わせ場所に向かった。

結論からいうと、恋は始まらなかった。帰り道、すごくモヤモヤした

待ち合わせは、駅のロータリー。そこから近くのカフェに行くことにし、ロータリーまで車で迎えに来てくれるのだ。

会った瞬間、「あ、この人は大丈夫だ」と分かった。何をもって大丈夫と判断したか、言葉にするのはむずかしい。いうなれば、この人は自分に危害を加えるような人間ではない、というような野生の勘に近い(この思考でどれだけ私が疑い深い慎重派かお分かりだろう)。

私は初対面の人とごはんを食べるのが苦手だ。人がものを“食べる”って行為は、そのままその人が“生きている”って生々しさに繋がっている気がする。そして、その姿を見せられるほど親しくない人と、私はごはんを食べたくない。という理由からお茶を飲む時間に会うことにし、一杯の珈琲を飲みながらお互いのことを話した。

結論からいうと、恋は始まらなかった。そして帰り道、すごくモヤモヤした感情に支配されながら歩いてひたすら考えた。ふつうに楽しかったけれど、なんでこんな気持ちになってるんだろう。あぁ、なんかお酒飲みたくなってきた、と思いながらコンビニでビールを買って家路に着いた。

私は知らないうちに、少なからず先に続くなにかを求めていたのかも…

ビールを流し込みながら考えるに、どうやらそのモヤモヤには、どこか期待を裏切られたがっかり感と、そんなことを思ってしまった自分への苛立ちが含まれているようだった。自覚していなかったけれど、私は相手に期待を寄せていたのか。勝手に期待して、勝手にがっかりして、それってばかみたいじゃないか。相手は何も悪くないのだから。

きっと私は知らず知らずのうちに頭の中で、この人とこうなったらいいなとか、少なからず先に続くなにかを、関係性を、この人とだったら得られるんじゃないかと願っていたのだ。

ばかみたいだけど、期待するのは悪いことじゃない。ただ、相手をマッチングアプリのような、自分の好みである“条件”で選んでしまうと、会ったことがない相手に対して、自分の求めるものだけが募りすぎていくように感じた。

そんなことを考えていたらふと、友人からもらった「恋愛に大事なことは3つ。1、期待しない。2、干渉しない。3、思いやりを持つ。それだけだよ」という言葉を思い出した。私よりもずっと大人びた横顔で、そう話した彼女のことが浮かんだ。