差し込んできた朝の光に誘われるように、そっと目を開け、窓の外を見る。青い空が広がっている。
「今日は散歩日和になりそうだな」
もそもそとベッドから起き上がり、顔を洗う。テーブルに着いて朝食を食べながら、引っ越してきたときに市役所でもらった地図を開く。
「どこに行こうか……。そうだ、今日は、隣の駅まで歩いてみよう」
鮮やかなオレンジのスカーフを首に巻き、家を出る。ドアを開けると同時に、まだ冷たさの残る新鮮な空気が身体を包む。

私は働き始めてから、日曜日の午前中をカフェですごすと決めていた。お気に入りの場所でちょっと贅沢な飲み物を注文して、読書をしたり、考え事をしたり、しばらく会っていなかった友達にメッセージを送ってみたりするのだ。その「日曜日のカフェの時間」は一週間の中でも特別な時間だった。

理想と現実が乖離していく中で、ふっと息をつけた日曜日のカフェ時間

そもそもこれを決めたのは、働くうちに社会の波に呑まれ、自分を失うことが怖くなったからだった。
学生の間は、「社会人になったって、私は自分の好きなことをやっていくんだ」と強気でいた。けれど、いざ仕事が始まると、目の前のことでいっぱいになった。
何をするにも手こずり、お昼の時間さえどこか緊張していて、一日の終わりには身体が自然とベッドに引っ張られる。好きな読書や料理、音楽を聞くための時間はどんどん短くなり、頭の中は気付かないうちに新しい物事であふれ返っていた。

社会人になるとはそういうものなのかもしれない。
でも私は、焦り、そして恐れを感じていた。こうして自分の感覚や感性が麻痺していって、いつしか数多の「大人」と同じようになってしまうのではないか、と。
だからある休日、カフェでのんびりしたあと、自分の心に余裕が戻っているのに気が付いたとき、日曜日の朝はカフェに足を運ぶことを決めたのだ。

栗のカフェに美味しいパン屋、少し歩くだけで新たな出会い

しかし、新しく住み始めた街で、行きつけのカフェができつつあったころ、再び緊急事態宣言が出され、お店が一時休業となってしまった。楽しみにしていた時間がなくなったことで、私はとてもがっかりした。だからと言って一日中家ですごす気持ちにはなれず、代わりに散歩してみることを思い付いたのだった。

家から数分歩き、信号を待っていると、その先に目を引くものがあった。「あれ、こんなお店があったっけ?」
信号が青になるや否や、早足でお店の前まで行く。栗専門のカフェらしい。まだ電気のついていない建物のドアに「中はとろ~り、外はサクサク、今一押しのパイ!」という文字と写真。
「そういえば、研修で一緒だったKさんが、栗が好きって言っていたな。今度、誘ってみようかな」
そんなことを考えながら、まだ始まったばかりの散策を進める。

十五分ほどまっすぐ歩いていくと、街の雰囲気が少しずつ変わってくる。
「ここらへんは確か、同期のTさんが住んでるって言っていたはず……」
周りを見渡すと、心惹かれる道が右手に続いている。ちょっとのぞいてみることにする。

外からは住宅ばかり並んでいるように見える通りだったが、かわいらしいお店がいくつもあった。ほとんどがまだ「準備中」の札をかかげる中、一つのパン屋さんがちょうど開店したところだった。
のれんをくぐってみる。すると、こじんまりした店中に、焼きたてのパンがきれいに並んでいた。
「こちら、どうぞ。オリーブのパンです」
びっくりすると同時に、少し嬉しくなって差し出されたパンを食べてみる。
おいしい。じっくり店内を見たあと、散歩のお供に、とそのパンを一つ買って店を出た。

あっという間の1時間。また見つけた、私に戻るためのルーティーン

家に着いたのは1時間後。色んなところを回って、いつの間にか随分と時間がすぎていた。でも、私の心はとても満たされていた。
「そうそう、あの小さなお店の並ぶ通りに、借主募集中のスペースがあったな。立地も広さもちょうど良かった。もしも仕事が嫌になったら、そこで私のカフェを開くことにしよう」
金曜日の夜は仕事への焦りでいっぱいになっていたのに、今はまた自分らしい考えに戻っている。

こんな素敵な街に住めたことに感謝する。これからは散歩も、私の新しいルーティーンになりそうだ。