26歳、社会人5年目ともなると学生のようなノリはいつの間にか消え、友人関係も落ち着いたものになりつつある。まだ若いとも言われるけれど、自分よりさらに若い子たちを見て羨ましくなることも増えてきた。

仕事が楽しくなってきて、仕事以外では極力省エネでいたい今日この頃。面倒な人間関係に手を焼くくらいなら、1人でいようとしてしまう。

しかしその一方で、1人でいることを寂しいと強く感じる時もある。20代というエネルギーに満ちたこの時が、恋愛抜きで過ぎていくことへの焦りも感じる。

「20歳まで処女だったら妖精になれる」と言葉を私は信じていた

「20歳まで処女なら、妖精になれるらしい」18歳のまだ世間知らずだった私が、見事に友達から大笑いをとった一言だ。どこでこの言葉を聞いたのか。高校時代の先輩の話だったような気もするが、今はもうはっきりとは覚えていない。

本気で妖精になるとは思っていなかったけれど、ただなんとなくこの言葉にある“20歳”が何かのリミットのように感じていたことは覚えている。結局、邪魔な物を脱ぎ捨てるかのように19歳が終わる直前、無事に妖精への変身を免れた。その相手は、彼氏とは呼べない相手だった。

もともと恋愛が苦手だった。戌年だけど猪突猛進な性格で、一つの事しか目に見えなくなる私は、恋愛をすると他の全てがどうでも良くなる。手相占いでも、占い師にそう言われた。

そんな私は、ついワンナイト的な関係に走る。友達は、会ったばかりの人と関係を持つ方が怖いと言うが、私は面倒だと感じたらすぐに立ち去れ、束の間でも恋愛をしていると錯覚させてくれる浅い関係が楽に感じる。それゆえ、これまで真剣に交際した経験は0に等しい。私は、そんな自分を楽しんできた。

19の時に妖精になることを拒否したことが間違いではなかったのか?

ただ、自分の中で引っかかっていることもある。本当に自分は楽な関係を求めているのか。あの時妖精になることを拒否した自分が、どうでもいい相手を選んでしまった自分の選択が、間違いではなかったことを、自分自身に証明するために恋愛をしてきたのではないか。

あの時19歳だった私は、傷ついてなどいなかったと、自分の選択で楽しんだのだということを、自分で、自分を納得させるためにここまできたのではないか。

今思えば、なぜあの時あんなに焦っていたのかわからない。いっそのこと妖精になってしまえばよかったのかもしれない。

しかしその一方で、本当に楽しんでいた自分もいた。19歳の私はさておき、23歳、24歳、25歳。その時々で出会った人たちと、楽しい時を過ごしたといえる。そんな時も確かにあった。ただ過去を思い、自暴自棄になったそんな瞬間も確かにあった。

私の恋が始まらないのは、私の過去のせいか。まだあの時のフェアリーテイルを信じている19歳の私が、自分の中で今でも泣いているからだろうか。あの時は、自分が傷ついていることを認めたくなくて、泣けなかった。泣いたら負けのような気がしていた。

「デートレイプ」を認めれば自分が傷つき、周りも傷つくと思っていた

今思えば、あれはデートレイプだったといえる。当時の私もなんとなくわかってはいたけれど、それを認めればさらに自分が傷つき、それを知った周りも傷つくような気がして言葉にできなかった。

今でも言葉にしたら泣くかと思ったけれど、涙は出なかった。意外とあっさり書けてしまって、自分でも拍子抜けしている。でも、冷静に言葉にできるようになるまで、7年半の時間がかかった。この7年半は短かったといえば短かったのかもしれないし、長かったといえば長かったのかもしれない。

言葉にできた今、私の心は少し軽くなった。それはきっと、もうあの時の私を隠さなくてもいいから。自分のしたこと、されたことを無理に正当化しなくていいから。

今でも完全に乗り越えられたわけじゃない。詳細を語る勇気はまだない。それに、言葉にしただけで、全ての人が前をむけるわけではない。ただ私には、前へ進むためにこの過程が必要だったのだといえる。

私の恋が始まらない理由は、あの日の出来事が全てではないけれど、同じ被害に遭わないために、みんなにはデートレイプという言葉を知っていてほしい。