先日、6歳の息子の乳歯が、立て続けに4本抜けた。その内2本はアクシデントで飲み込まれてしまったので、今頃海の底だろう。そしてもう2本はというと、50円玉2枚に換わった。息子曰く、枕の下に敷いて眠ると、翌朝にはコインに換わっていたのだそうだ。

私は親になった今、息子も喜ぶかなと思って歯の妖精を演じている

息子はその2枚の50円玉を、まるで宝石を見るかのように眺めている。4歳の弟も、その様子を羨ましそうに眺めている。

……ここだけの話なんだけど(ヒソヒソ)、その50円玉2枚をピカピカに磨いて息子の枕の下に入れたのは、妖精(=私)なのである。

乳歯に関する風習や習慣は、各地方、各家庭で色々あると思う。庭に放り投げるとか、可愛らしい容器にコレクションするとか。これらはどれも子どもの健康祈願が由来にある。

ちなみに「乳歯がコインに換わる」というのは、ヨーロッパの風習なのだそうだ。私自身は子供の頃、このお得な風習を自らで選びとって信じていた(だって、歯を投げてもお金にはならない)。その時も、妖精は私の歯をコインに換えてくれた。だから私は親になった今、息子も喜ぶかなと思って歯の妖精を演じている。

私自身は大人になった今、自分の乳歯は持っていない。しかし、両親とそんな風習を楽しんだ事は、しっかりと記憶に残っている。

数年後の彼にとっても、歯の妖精はいる事にした方が都合が良いはず

現状私の息子が心から、歯の妖精の存在を信じているのかどうかは分からない。もしも今は信じていたとしても、彼の奥歯が生え変わる頃には「歯の妖精はいる……ことにしよう」という考えになっている可能性が高い。今調べてみたれけれど、奥歯の乳歯が抜け落ちるのは大体10~12歳だそうだ。その頃の息子は、損得勘定だって今以上に得意になっているはず。だって私の息子だもの。

夕方に出掛けたスーパーでは、数字が赤いおやつ(=特売品)しか買ってもらえない彼。妖精が運んできたピカピカの50円玉をたくさん集めて、買えそうで買えないものを目前に悩む彼の未来が、私には見える……。であれば数年後の彼にとっても、歯の妖精はいる事にした方が都合が良いはず。この都合というのは「サンタさんはいる……事にしよう」と高学年の子どもが考えるのと全く同じ都合だ。

私は息子達に、ファンタジーを楽しめる子ども時代を送って欲しいと思っている(といいつつお菓子の値段についてはシビアな判定なのだが、それはそれ)。親の思いを押し付けるつもりはないけれど、妖精がいる世界の存在は知っていて欲しい。

空想の世界を自由に飛び回る事は、幼少期の特権だ。大人になると、制限がかかる。今だけの特別な権利なのだから、行使すればいいと思う。そして行使したいと息子達が願うのであれば、私はそれを全力でサポートしたいと思う次第である。

赤いおやつを買うのも、私の幼少期の経験から。息子達の将来が楽しみ

私が自分の息子に対して今そう思っているのは、私の両親がそのように思って歯の妖精やサンタさんを演じていたから。こうして、親から子ども達への願いは世代を越えて引き継がれ、風習や習慣を形作っていく。

ちなみに、スーパーで数字が赤いおやつしか買ってもらえないというのも、私の幼少期の経験を引き継いでいる(箱に入ったアイスを買うときもそうだった)。好きなおやつの数字が赤くなっているととっても嬉しかったし、数字が赤くないおやつが欲しい時は親に交渉したりもた。そんな記憶は、きっと私の息子達にも残るだろう。これは風習というほどにメジャーではない、局所的な我が家での習慣だ。

将来我が子が誰かと結ばれ、子どもが生まれたとしたら。愛する家族と、歯の妖精や、数字の赤いおやつについて話をしてみて欲しい。

私が実家から引き継いだ風習や習慣が、息子達の家庭で採用されるかどうかは、もちろんわからない。しかし、そこでまた新たな習慣が生まれたり、別の風習が取り入れられていったら素敵だなぁと、私は義母の立場で思うのだった(時期尚早)。