私の恋が始まらない理由は、ただ単に自分の容姿が悪いからだと考えていた。そこで私は、痩せたら可愛くなり、恋をして恋人ができるかもしれないと思い、ダイエットに励んだ。

しかし、半年かけて10キロほど痩せても、恋人ができることはなかった。

周りから「なんで好きな人いないの?」と心配されるようになった

そこで私は、私が恋をできない理由を考えてみた。その結果、私は周りの人の価値観に振り回され、周りからの評価を気にしすぎていることに気づいた。

今まで約20年生きてきて、「好きな人いるの?」という会話を何回しただろうか。宿泊教室や修学旅行の夜、この話題は必ず登場し、この会話をした後、私たちはなんだか絆が深まったような気がした。「好きな人いるの?」と聞かれて、「いない」と答えるのは許されない雰囲気があった。

しかし、私はたいてい「いない」と答える側で、話が終わるころには少しの疎外感があった。

また、中学生、高校生、大学生と成長していく中で、周りに恋人ができた人がどんどん増えていった。そんななかでも、私は一度も恋人ができたことがなかった。

そのうち家族や友達から、「とうとう彼氏のかの字も聞かないまま20年がすぎたね~」とか「なんで好きな人も彼氏もいないんだろうね」と心配されるようになり、その心配の目はだんだんと異常なものを見る目に変わっていった。

仮に誰かと付き合ったとしても、周りからの評価が気になってしまう…

弟やいとこに恋人ができたときや、その恋人を家に連れてきたときは、本当に居心地が悪かった。今まで一度も恋人ができたことのない私は、この空間の中で一番の負け組だと感じざるを得なかった。

これまで、このようなことを何度も経験した。「なぜ、好きな人や恋人がいないだけで、こんなにも哀れだと思われちゃうの?」とずっと思っていた。私は友達と遊んだり、読書をしたり、勉強をしたりして、自分の人生を楽しんでいた。

しかし、とあるときから、何をしているときでも、私が周りの人よりも劣っていると感じるようになってしまった。そんな状況から脱出するために、全力で恋人を作ればいいじゃん! と思ったのも一瞬で、カップルはカップルで問題があった。

誰かが誰かと付き合い始め、カップルになると、一時的に話題になる。そのときに、表面上では「おめでとう」といった類の言葉が飛び交う。

しかし、個人個人の間の会話では、カップルを馬鹿にするような言葉や、カップルに対する妬みの言葉が交わされていることもある。それは極端な例だとしても、カップルの写真がSNSに投稿されているのを見ると、私を含め、多くの人がそのカップルを個人の価値観で、良くも悪くも評価しているのではないか。

仮に私が誰かと付き合ったとしても、周りからの反応や評価が気になってしまうだろうなと思っていた。このような恐れがあるから、私の恋は始まらない。

みんな好きな人がいて、恋人がほしいと思っているという価値観やめて

しかし、カップルの人たちは幸せな人が多いだろうなと思う。だって、自分の好きな人と一緒にいるのだから。そうなると多くの被害者は、私のような“恋人がいない人たち”だろう。

私が今までの人生で訴えたかったことは、“恋人がいない人全員が、いつでも恋人がほしいと願っているわけではない”ということだ。

“誰でも好きな人がいて、みんな恋人がほしいと思っている”という価値観を持ち、言葉を放つ人が私の周りには多かった。今まで生きてきて、恋愛という土俵に立ってこなかっただけで何度も傷つけられた。誰かを好きになり、両想いになって付き合うことができない私は、何かが欠けていると思われてきた。

でも、世界には他にもたくさんの価値観が存在しているのだから、たった一つの価値観によってなされた評価に傷つく必要はないと、今は思えるようになった。個人の価値観によって放たれるちょっとした言葉やアドバイスは、人を傷つけることもあるのだと多くの人に気づいてほしい。