初潮は、小学生6年生の誕生日の日だった。そのとき、大人の女性に近づいた気持ちがして、煩わしさよりも嬉しさの方が勝っていたような記憶がある。

しかし、中学生、高校生、大学生、社会人になった今も生理の周期は整うことがなく、うまく付き合うことができていない。

私は薬を服用することが難しく、「生理」を予測することが難しい

産婦人科に相談に行ったこともあるが、薬の副作用が出やすい体質なので、なかなか薬を服用することも難しいというのが現状である。

そのため、生理が来る日を予測することができない。一応、前の月に生理になった日が近づいてきたら、ナプキンを当てるようには気を付けている。

そのような注意を払っていたにも関わらず、突然の生理はやってくることもある。それは、私が会社で働いていた際に起こった。

私の仕事は営業事務であるが、いつも通り椅子に座ってパソコンと向き合って仕事していたときだった。何となく何かが出たような感触はあったが、油断をしていたため、おりものかと思ってお手洗いに行かなかった。

しかし、途中から出血しているのではないかと不安に変わり、お手洗いへ急いで駆け込んだ。予想はやはり的中していた。生理がやっときたという嬉しさよりも、そのときに自分の中でナプキンを当てていなかった後悔と罪悪感に陥った。

女性なら1度は経血が漏れてしまったこと、あるんじゃないかな?

出血はしていて少しズボンにもついていたが、幸いにも黒いズボンを穿いていた為、目立つことはなかった。また、急いで自分は座っていた椅子も確認したが、付着していることはなく、心底安堵した。

それと同時に、もし今日薄い色のズボンを穿いていたら、椅子にまで血が付着していたら…と想像をするだけでぞっとした。また、他の人にそれを見られていたらと考えられるだけで怖くなった。

その中で女性の先輩社員の方が、何となく私の行動に気づいてくれて、「大丈夫?」と声をかけてくれた。私はその一言で不安に思っていた気持ちも軽減することができ、事情も話すことができた。

女性はこのような経験が、誰でも1回はあるのではないかと思う。綺麗ごとかもしれないが、このようなことが起こったときに、みんなが寛容に受け入れて「大丈夫だよ」と声をかけられるような、社会になれば不安を感じることはないのではないかと感じる。

生理を腫物のように見るのではなく、当たり前の習慣に加えて欲しい

以前と比べれば、メディア等でも生理のことが取り上げられるような機会が増えたので、生理に対する理解は少しずつ進んでいるようは思うが、まだまだ生理に対する女性の悩みはこの世の中に浸透していると思う。

私のように生理不順の悩みを抱えている人もいると思うし、悩みは人それぞれいろいろなものがあると思う。すべてを理解するのは難しい。

しかし、自分の身の周りにいる人の悩みだけにでも、相談に乗ることはできるのではないか、寄り添うことはできるのではないかと思う。そして、そのような環境があれば、その悩みを打ち明けることができたり、今回の私みたいに出血が漏れても誰かに助けを求めたりすることができる人も増えるのではないかと思う。

いつかこの社会で、私が再び同じように出血を漏らしてしまっても、笑い飛ばせるようになりたい。その日のことを引きずるようなことをしたくない。

そして、私の周りに出血を漏らしてしまった人がいたとしても、「生理がきちんときて、出血をしていることは大事なことだよ」と言って、一緒に笑ってあげたい。生理を腫物のように見るのではなく、当たり前の世の中の習慣に加えて欲しい。だって、生理って女性の中では普通のことだから。