恋の始まりは一大イベントのくせに、どうして恋の終わりはこんなにもあっけないのだろう。

青春時代を共に過ごした恋人と、別れてからしばらく経った。優しいなと思う人は何人か現れたし、この人だったらいいかもしれないと思う人も現れたけど、何かが起こるわけでもなく、結局私は今も独り身のままだ。

随分、現状維持を続けてきた私にとって、新たな恋を始めるというのは、センター試験の英語の長文読解よりも遥かに難しくて(今はもうセンター試験がなくなってしまったらしいが)、今更もう一度挑んでみようなんて気にはなれない。

別れは悲しいけど、未来の見えない恋愛を惰性で続けるほど暇じゃない

別に元彼に未練があるわけではない。別れを切り出したのも私からで、別れてから元彼のことで枕を濡らした夜なんて一度もないし、ずっと悩んでいた肌荒れだってぱったりとなくなった。別れてから、私にとってマイナスなことが見つからなくて、「あれ、何で付き合ってたんだろう」と逆に悩んだことさえある。

それでも、一緒に過ごした時間は本当に楽しかった。何度かの危機を乗り越えて、iPhoneの動作が重くなるくらいたくさんの思い出を作って、言葉なんかなくても大体のことは理解できるようになった。

裏路地にあったお気に入りのタピオカ屋さんや、いつものお決まりのデートコースも二人だったら全てが新鮮に感じた。でもいつからか、考えていることが全く分からなくなって、彼にとっての一番が私じゃなくなったことだけは理解ができた。

そりゃあ悲しかったけど、未来の見えない恋愛を惰性で続けるほど私は暇じゃない。そして、その瞬間から終わりがやってくるのは、桜の木々が花を散らして、夏の装いに移り変わるくらいにあっという間で、お互いに察しのいい私たちは、すんなりと話がついて終わりを迎えた。

2年半付き合った彼との思い出は、ジップロック1枚で片付いた

私は別れてすぐに、身の回りの掃除を始めた。二人の写真や記念日にもらった手紙。一緒に観た映画の半券、水族館のチケットなど、10代にとっての2年半は想像以上に長く、片づけに1時間くらいかかった覚えがある。

とりあえずで置いてあったジップロックを手に取り、これらを全部入れた。机の上一杯にあったものが、透明な袋1枚に全て収まってしまって、なんだか拍子抜けした。

しかも、しっかり空気を抜いてチャックを閉じたら、さっきよりもさらにコンパクトになって、冷蔵庫で眠っているもやしよりもスリムになってしまった。全身全霊で挑んだ大恋愛は、ジップロック1枚で片付いたのである。

現実に引き戻された私は、今までできないと諦めていたことを一通りしてみることにした。「女の子はいらないよ」と言われていた免許を取るために通った教習所では、「運転が上手い」と教官に褒められた。おい誰だ、「運転できない」って言ったやつは。

それから、一人で地図を見て買い物に行った。地図を見るのは私の担当ではなかったし、方向音痴だと思っていたからやったことがなかった。でも、いざやってみると余裕でできた。ついでに、二人の行きつけだったタピオカ屋さんを覗いてみると、かなり前に閉店していたそうで、「空きテナント」の文字と閉店を知らせる張り紙が悲しそうに残っていた。

あの頃の自分を思い返すと、気がづかないうちに、私はできない女になっていたのかもしれない。向上心と行動力の塊みたいな人間だった、本来の自分を忘れかけていたことに、独り身になってから気づかされた。

私の過去の恋はジップロックの中だけど、私はきっと新しい恋に出会う

それからは、別に一人でも案外生きていけるじゃんということに気づいて、なんだかんだ楽しい毎日を送っている。

でもやっぱり、二人で行ったお店や一緒に歩いた道を通ったときに、突然記憶が甦って、何とも言えない複雑な気持ちになることがあるし、2年半の日々に意味を見出したくなる瞬間がある。

だけどもう、私の過去の恋はあの忌まわしきジップロックの中だけで鮮度が保たれていて、私の中の記憶はどんどん鮮度が落ちてきてるから、じきに新しい恋に出会うと思う。

それに、想像以上に自分が自立できる人間だったことに気づくという世紀の大発見をすることが出来た。だからこの恋だって、私の成長に繋がったんだから案外悪くないかもしれない。

新しい恋が始まらないのは多分、今はまだそのタイミングじゃないだけ。今後の人生、きっともっと素敵な人が待っているはずだ。どんまい、素敵な女の子を逃した少年。