その人と一緒に過ごした時期は、よく雨が降っていた

俺、雨男なんだよね。と、自由が丘のタピオカのお店の横の雑居ビルの入り口で、タピオカドリンクを飲みながらその人は言った。

今はもうお店のメニューには載っていない、期間限定のやつだ。抹茶と、小豆と、ヨーグルトと、タピオカという、ちょっと変な組み合わせのその飲み物を、紙のストローでその人はおいしそうに飲んでいた。
私はその横で、レギュラーメニューの黒糖タピオカミルクを飲んだ。紙のストローは、すぐふにゃふにゃになって吸えなくなった。予備のストローももらっていたけれど、意地で最後まで飲み切って、新品のまま、他のゴミと一緒に、捨てた。

私たちの周りには、その間ずっと、細い雨が降っていた。傘を持っていない私たちは、雑居ビルの入り口に立って、傘をさして歩く人たちを見るともなく眺めながら、その時たしかに並んでタピオカを飲んでいたのだ。
いや、食べていたと言った方が正しいのか。どちらにせよ、小雨の降る日には、あの日の光景がふと思い出される。

たしかに、その人と一緒に過ごした時期は、よく雨が降っていたように思う。私は晴れ女を自負しているけれど、私の晴れ女力を打ち消してしまうほどの、雨を呼び寄せるパワーを彼は持っているのだと、その時は本気で思っていた。

でも、それはただ、私が彼と頻繁に会っていた時期が、梅雨の時期と重なっていただけなのだ。ただ、それだけのことだ。でも、そう思えるようになるまでが大変だった。

彼と出会ってから、いつしか自分の心の声を聞かなくなった

彼とは、職場で出会った。良くも悪くも真面目な仕事人間が多い職場で、ルールに縛られない、自由で飄々とした彼は、すごく目立った。

周りが仕事の話ばかりしている中で、彼と最初に交わした会話は本についての会話だった。ひょんなことから、彼が村上春樹のファンであることが分かり、その時たまたま私が読んでいた村上春樹のエッセイを貸すことになったのだ。あした本忘れんなよー、というのが、彼から送られてきた最初のLINEだった。突然のLINEにドキドキした一方で、そんなに親しくもないのに、ずいぶんと偉そうだなあ、と思ったのが正直な感想だった。

その時感じた違和感は正しかったのに、どこから自分の心の声を聞かなくなってしまったのだろう。気が付いたら毎日一緒に帰るようになって、夜ご飯を食べるようになった。

最初のLINEから3週間目の週の金曜日の夜、イタリアンを食べて、ワインを飲んで、カラオケでイチャイチャして、そのまま彼の部屋に泊まった。
「今日は帰らなくていいから」と、私から言ったのだった。その夜も、雨が降っていた。

彼とは二回寝て、もう一回は私が生理だったから口でしてあげた。それなのに、雨が降っていた時、一度も一緒の傘には入れなかった。傘をさして歩く彼の横で、私は自分のカーディガンで雨を凌いだ。入れて、と頼んだら入れてくれたと思うけれど、言えなかった。

今思えば、彼といた時間はそんなことばかりだった。本当はタピオカだって、私はそんなに好きではなかったのだ。彼の部屋に泊まった次の日に、大戸屋でお昼ご飯を食べた後で、もうお腹もいっぱいだった。
でも、彼が大戸屋で支払いをして、私がタピオカを買うことを提案されたから、その通りにした。いや、本当はそうじゃない。大切にされていないことに気付いていながらも、彼と一緒にいたかったから、本当は好きでもないタピオカを、雨の中並んで買って、一緒に飲んだ。

恋が終わった。自分で自分のことがどんどん嫌いになっていった

告白をのらりくらりと躱され続けてもしつこい私にようやく観念した彼が、私がただの遊び相手の一人であったことを告げて、私の恋は終わった。

いや、そこで終わればよかったのだ。そこに至るまでに、すでに私は彼に完全に執着するようになっていた。気が付いた時にはもう遅かった。私の中で彼の価値基準は絶対的なものになっていて、彼に「選ばれなかった」私は、価値のない存在だった。

こんな絵に描いたようなダメ男を好きでいても、不幸になるだけだ、と頭では分かっていても、心が言うことを聞かなかった。職場で彼が視界に入るたび、自己肯定感が下がっていくのを感じた。

私がもっとかわいかったら。
あの時もっと気の利いたことを言えていたら。
私が私じゃなかったら。

自分で自分のことがどんどん嫌いになっていった。

短い梅雨の間に起こった出来事に、こんなに執着してしまっているのには、もっと深い理由があるのかもしれない。そう思い立ち、カウンセリングに通い始めたのはつい最近のことだ。

これまでのセッションで、学んだことがある。
子供の時からずっと、両親が望んだ通りの「いい子」でいないと、自分には愛される価値がないと感じていた。小さい頃、親に安定した愛情を注いでもらえなかったから、大人になった今、異性にその寂しさを満たしてもらおうとしてしまう。でも、安定した愛情がわからないから、自分を大切にしてくれない人ばかり好きになって、苦しい恋愛を繰り返す。

自分なりに楽しく生きてきたつもりでいたから、こんな説明を受けた時には驚いた。
でも、今までなんとなく感じてきた生きづらさも、恋愛で辛い思いをすることが多いことも、全部説明がついた。このことに気づくことができた今、もっと自分で自分のことを大切にしながら生きる術を、模索中だ。

これから雨の季節がきたら、また彼を思い出すのだろう

「人間は一生のうち逢うべき人には必ず逢える。しかも一瞬早過ぎず、一瞬遅すぎない時に」と、森信三は言った。
雨男に出会って恋をしていなかったら、私はこんなふうに自分の心に空いた穴に正面から向き合うことはなかっただろう。私は雨男に、出逢うべき時に、出逢うべくして出逢い、恋をした。私が学ばなければならなかった大切なことを教えて、彼は私の人生からいなくなった。やっと、そう思えるようになった。

今年も梅雨がやってきたら、私は彼のことを思い出すのだろう。
でも、決して辛かった思い出としてではなく、たしかに誰かのことを好きになって、もっと一緒にいたいと願った、あたたかくて、切なくて、でも全てがキラキラと輝いていた時間の中に、彼のことを思い出すと思う。

雨男さん。私はあなたのことがすごく好きでした。たぶん愛ではなかったけど、恋をしてました。
出会ってくれてありがとう。そして、さよなら。