17歳の私は生理を恥じたけど、今は誇らしく自分を労わる時間だ
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私は17歳から毎月、思っていたことがある。
なんだか眩暈がするし、下腹部が痛い。なのに、感情と食欲がデッドヒートするのはなんなの! しばらくすると、手の隙間から砂がサーっとこぼれ落ちるような感覚が下半身からする。変な冷や汗と匂いで星がちるのだ。
げっ、やつがきた! 慌ててトイレに駆け込み、ショーツを下げて、そこに映し出された赤い涙にため息をついた。そんな日に限って、ナプキンを持っていないのだ。
トイレットペーパーを何重にも重ねて、ショーツにあてがい、恥ずかしい気持ちで顔をゆでだこのように赤らめながら、保健室の先生に借りに行くのだった。「先生、やつがきました……。ナプキンください……」と。すると、先生は菩薩のような笑顔で、「どうぞ」と言って救世主のナプキンをくれるのだ。
そんな青春時代は、10年以上も前のこと。こそこそと休み時間になると、男子に見つからないように長めのタオルにナプキンを包んで、トイレまで駆け込んだ同級生を沢山発見した。
最近では生理の貧困に伴い、自治体でナプキンを無償で配布したり、学校や会社などの女性トイレに常備されたりしている。また、書店へ足を運ぶと、お洒落な包装紙につつまれたナプキンが人の目につきやすいところにおいてあることも。
時代は変わってきたんだなと思いながら、私は温かいルイボスティーを口にした。
そんな私もあと1週間もすれば、やってくる。もう、「やつがきた」とは言わないし、けして恥ずかしくはない。
むしろ、生理を誇らしく思う。薬局にてナプキンを買うときは、後ろに男性が並んでいようとこそこそしない。満面の笑みで、店員さんとお会計のやりとりをしている。まあ、側から見たらハテナマークが頭に浮かぶことだろう。
生理があることは、痛みや不快感に悩まされはするが、生理があるおかげでエストロゲンがより女性らしさを引き立たせてくれる。そして、自分を甘やかすことも大切であり、ゆっくり体を労ろうと考える。
私は生理の日を、“マイデザインウィーク”と名付けて、よく食べ、よく笑い、過ごしている。このウィークは、特に自分自身の心と体に向き合うようにしている。いつも我慢していることを少し解禁させて、リフレッシュするのだ。
そうやって過ごすことで、憂鬱の文字なんぞどこへやら状態である。ただでさえ、コロナ禍でストレスボルテージがMAXの世の中なのだから、生理の日こそ、自分なりのデトックスを実践すること。そうすれば、生理をより快適に過ごせるのではないだろうか。
また、パートナーに対しても普通に接してくれることで感謝している。変に気を遣われても、生理の痛みや不快感に思考回路が繋がるかもしれないからだ。普通に接してもらえるだけで、痛みもましになる気がする。
備蓄された、カラフルな個包装の救世主をトイレで眺めながら、私は1週間後にくる生理の日を楽しみに感じた。
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