大学を卒業してから、いつの間にか1年以上が経った。

社会人になったからなのか、あるいは、コロナ禍だからなのか、時が過ぎるのも一瞬で、もうすぐ24歳。誰かの話だと思っていた“アラサー”に、自分も着実に近づいている。

SNSのタイムラインに「結婚」の文字を見かけるようになったけど…

それと同時に、近頃SNSのタイムラインでは、“結婚”の2文字を、頻繁に見かけるようになった気がする。もしかして世間的には、いわゆる結婚適齢期に突入し、いよいよ第1次結婚ブームがやってきたのだろうか。

深夜のマックで、三角チョコパイを食べながら中学の同級生と語った、「誰が1番早く結婚しそうか」ランキングにも、ついに答えが出そうだ。とはいえ、私といえばその内輪で開催される結婚ランキングに、なぜか最下位にもランクインができない。

友人たち曰く、いつも一人で楽しそうにしているイメージが強いという。恥ずかしながら、全くもって同感だ。彼氏だってもう、3年ほどいない。

前の彼氏は、人生初の彼氏でもあった。忘れたくなるほどくすぐったい、未熟すぎた話だった。未だに更新されない彼氏との情景を、時々思い返しては、少々考えこんでしまう癖もある。それ故、こんなにも時間が経ったのに、新しい恋だって始まっていない。若干、面倒だとさえ思っている。

別れた原因を分析していく中で、1番有力だと考えたことは、彼氏という存在が、足枷になってしまったということだ。

私は特別な存在の人がいても、自分の夢や目標を「優先」してしまう

当時の私は、ゼミの論文を書き上げながらも、バイトでは新しい業務を習得し、あれやこれやと興味の赴くままに行動している、アクティブな女子だった。やりたいことが多くなるにつれて、特定の特別な誰かの存在は、いつの間にか懸念事項にしかならなくなってしまったのだ。

さらにいうと、恋愛観にも違和感があった。学生時代、盛り上がる恋愛トークのお題として、「自分にとって恋人の存在は何か」というたとえ話を聞いてきた。ほろ酔いの彼らは、「水」と答えがちだった。ずっと飲んでいても飽きが来ない、かつ不可欠なものだということを言いたいらしい。

周囲の深い共感と、惚気に対する冷やかしの声の中で、ひっそり、「重っ」って思ってた。水に対して飽きないってなんだよ。私なら、たくさんある好きなジュースうちの、1番のお気に入りだと答えるな、とジョッキに口をつけながら一人考えていた。

「結婚しなくても幸せになれる時代」とは、私にかなり合うかも!

よくよく考えてみれば、この時点でだいぶズレているらしい。近頃、結婚しなくても幸せになれる時代になった、とよく耳にする。なるほど、これこそ私のライフスタイルにかなり合うかもしれない。

今のところ、恋の優先順位はたぶんかなり低い。それよりもなりたい自分や、見たい世界がたくさんあるからだ。確かに彼氏を作ることで、新たな発見が必ずあると思うし、いたらいたで楽しく過ごせるとも思う。

だけど、時間的にもコスト的にも、気が進まないのが本音だ。知らない誰かに何かを期待することって、かなり賭けなのではないと思う。1人でも十分楽しめる生活になれてしまった以上、恋人は私にとってまだ必要のないものかもしれない。だから今はまだ、恋を始めないのだ。