共通点がある男性なんてきっといない私には、彼氏なんかできないんだ

「趣味の合う人を見つけよう」「共通点を見つけよう」――恋人がほしいなと検索すれば、必ず見つける常套句。
誰かと同じものが好きということは、その人と親しくなるうえでものすごいアドバンテージになる。

例えば、スポーツが好きで同じチームを応援しているとか、同じバンドのあの曲が好きとか。そこからどんどん話が広がるし、相手の好きな他のものを好きになれば、ふたりの仲はもっと深くなるはず。
でも、同じものを好きな人に出会えない私は、どうすればいいんだろう?

私の趣味は、ピアノ演奏とオペラ鑑賞。筋金入りのクラシック好きで、流行りのポップもロックも苦手。テレビも見ないし、スポーツにも興味なし。最近、エッセイ執筆という趣味が増えました。

……なーんて、そんな話をうっかりしちゃって、職場の人にドン引きされたのは、ついこの前の話。

そんな私でも彼氏はほしい。そうして検索して出てきた言葉に、日々傷ついている。
私はモテるタイプじゃない。男の人たちが好きなものを「いいね、私もそれ好き!」とは乗ってあげられない。

大好きな音楽の話を思いっきりしたいし、できれば一緒にオペラを観たい。夜がふけるまで文学談義をしたい。
でも、そんな人どこにいるのよ。やっぱり私には彼氏なんかできないんだ、と自分を卑下してしまう。

目から鱗だった「自分を下げるんじゃなくて目線が同じ人を探しに行く」

「恋人がほしいなとは思うよ。でも多分、私と話の合う人なんていないんじゃないかな」
そんな台詞がこぼれたのは、深夜2時、同期入社の仲良し3人で、とある温泉旅館でまったりしている時だった。

仕事の愚痴、キャリアへの不安、恋愛話――お酒も入ってきてどんどん話が進んでいき、私の「彼氏いたことないコンプレックス」の話になったときだった。

周りの友達がどんどん結婚していくこと。子供を産んだ友達も少なからずいること。そんな中、大学院卒で仕事もまだまだな私には、結婚どころか彼氏もできたことがないと引け目を感じていること。
「オールドミス」なんて言葉もちょっと格好いいけれど、やっぱり一回くらい、誰かとお付き合いしてみたいと思っていること。
そんな話をする中で、ぽつりと出た言葉だった。

「――なんで合わせる必要があるの?」
それまで黙って話をきいていたひとりが、ふと呟いた。
「オペラが好きとか、ピアノを無茶苦茶弾くとか、そういう自分にとって大事なものの話に引いちゃう人に合わせる必要なんてないよ」
そうそう、ともうひとりの友達も。
「自分を下げるんじゃなくて、同じ目線で話のできる人を探しに行きなよ。例えば、『グランドピアノ? そんなのうちにもあるよ』って言っちゃう人とか」

目から鱗だった。
確かに、見つからないなら探しに行けばいい。私と話の合う人なんかいない、私のことを分かってくれる人なんていないと自分の殻に閉じこもっていたら、会える人にも当然会えない。趣味が合う人に会えないのは当たり前だ。だって、私が探しに行っていないのだから。

背中を押してくれた友達の言葉。合う人がいないなら、探しに行けばいい

それと同時に、気がついた。
私は、好きになった人に引かれてしまうのがこわくて、「私に合う人なんかいない」とバリアを張り巡らしていたことにも。
臆病風に吹かれ、好きな人と好きなものを共有することを避けていたのだから、親しくなるチャンスを不意にしていたのは私自身だ。

雷に打たれたような衝撃。
と同時に、胸がじんわりと熱くなる。
「自分のレベルを下げに行くな」なんて、そんな嬉しい言葉を言ってくれる友達はそうそういない。温かな気持ちがあふれてきて、ありがとう、とうまく言えなかった。

彼女たちのことばは、臆病な私の背中を押してくれた。
話の合う人がいないなら、探しに行けばいい。
とりあえず、マッチングアプリでも始めてみようかな。大丈夫、きっと見つけられるよ。
だって、こんなに素敵な友達が認めてくれた私だから。

私の恋が始まらない理由、それは、私が臆病だったから。
でも、まだ見ぬ「誰か」よりも私を大切にしてくれる友達。
彼女たちがそばにいてくれるなら、恋なんて始まらなくてもいいのかも、なんてね。