これを恋と呼んでいいのか分からない。
なぜかって? だって、彼と一度も話したことがないから。いつも、ただ見ているだけだった。
ローズヒップティーを注文して、受け取る瞬間が、一番心の高鳴る瞬間だった。『加賀』さん、という名前だけを知っている。制服についてあるネームプレートに、機械で掘られた加賀、という名前が書いてあった。

彼がバイトなのか正社員なのか、そんなのも知らない。ただ、私の家の近くのカフェで働いているという以外の情報を私は知らない。
一度、受け取る瞬間に手が触れそうになった時があった。
思わず「あっ」という普段の自分からは考えられない声が出て、恥ずかしさのあまり下を向きそのままレジから離れてしまった。いつもなら仕事をしている彼の姿が見える席に座るのに、その日はそれのせいで彼のことを見れなくて、外の景色が見える椅子に腰掛けるしかなかった。
だけど、同じ空間にいるというだけで、心はふわふわと綿飴のように軽く甘くなって、ローズヒップティーは酸っぱいはずなのに、そこに微かな甘みを感じる。
甘酸っぱい、それはまさに今の私の心の中を表した味で、温かいそれを飲むと、心がきゅんっと音を立てるのが分かった。

「よく来てくださいますよね」いつもと違う声をかけられて

仕事で失敗をしてしまった次の日、いつものようにカフェへ訪れた。
その日はローズヒップティーだけじゃなくて、甘い甘いケーキを食べて、仕事の失敗を脳内から綺麗さっぱり消し去りたかった。
今日も彼がいた。最近はカフェに来ても彼な姿を見ることができなかった。二週間ぶりに見た彼の姿に、仕事のことが半分以上、どこからか吹いてきた風に流されていった。
「あ、あの。ローズヒップティーと、チーズケーキ、一つずつください」
「かしこまりました」
いつもの対応、いつもの声のトーン。何一つ変わらない彼に、どこか安心を覚える。とともに、少しだけ寂しいな、とも思った。
どうしたって私と彼の関係は、カフェに来たお客と、そこで働く店員。その間にある壁は厚く、それは簡単には壊すことはできない。
少し待っていると、いつもの香りを漂わせたローズヒップティーと、生クリームが申し訳程度に乗ったチーズケーキが運ばれてきた。
「いつも、ありがとうございます」
「え?」
いつもとは違う声を、彼にかけられる。
「よく、来てくださいますよね。ローズヒップティー、注文してくださっているので」
「あ、好き、なんです。ロ、ローズヒップティーが」
言い訳がましく、ローズヒップティーが、なんて言う自分に、顔が熱くなってくる。
「はい。これからも、ぜひよろしくお願いしますね」
「は、はい」
それを言うと、彼はいつものように仕事に戻った。
少しの時間と少しの言葉、だけどその少しが私に取っては永遠にも感じられるもので、仕事のことはもう完全に頭から消えていた。

突然終わりを告げた儚い思い。もう二度と会えなくなってしまった

なのに、私のこの恋と言えるのか分からない儚い思い突然終わりを告げた。
コロナという病が流行し、私はその恐怖からカフェに行けなくなった。
テイクアウトでもいいから寄ってみようと何度か立ち寄ったけど、彼はいなかった。それでも諦めずに、それからも何度か訪れたけれど、やっぱり彼の姿を確認することはできなかった。
多分、辞めてしまったんだ。もう、二度と会えなくなってしまったんだ。
私は最後のローズヒップティーを注文した。
もう、このカフェでこのローズヒップティーを飲む理由は、無くなってしまった。ローズヒップティーを飲むと、彼の言葉が脳内を駆け巡った。
たった少しの言葉、プライベートの内容なんて一欠片も含まれていない言葉だったけど、私にはとんでもなく大切な宝物だった。
私の儚い気持ちはどこにいくまでもなく、私の心の中に今でも残っている。