些細な理由を手土産に、終わりを告げられることが多い。多いというか、百発百中で振られている。
例えば、お酒の好みが正反対、私服の印象があまり良くない、小説をあとがきから読むのが気に入らない、なんてこともあれば、交際しているうちに同性が好きだと知った、といったこともある。
その度に情けない気持ちを抱えながら「仕方ない」と返事をしている。

その時の微妙な感情は形容しがたい。悔しいとも違い、怒りとも異なる。負の方向に点在する気持ちであることは確かなのに、それがどの言葉に属するのか分類できないのだ。強いていうなら、卒業式の帰り道で一人になったとき感じる思いに近い。
こんな話を聞いたことがある。
何かの始まりについて考えるときは、そのものが終わる瞬間を考察すると良いというのだ。よって、今回もお尻から考えているのだけれど、なんとも締まらない冒頭が出来上がってしまった。

私としては、こちらが「振られた側」。知ったこっちゃないのだけど

以前、この手の話を友人とした際、あまりにも未練がなさすぎると叱咤された。
「未練がない」というのは、さっぱりした、後腐れがない、などのイメージで用いられることが多いように思う。けれど当時、口調こそ軽かったものの友人の発した言葉には棘があった。
未練がないことは相手に対して失礼なのだという。私としてはこちらが所謂「振られた側」なのだから知ったこっちゃないのだけど。

あからさまに不満が顔へ出ていたようで、友人は神妙な面持ちを繕った。
「三割の別れ話は、最後の話し合いで元鞘になるから」
「本当は引き止めて欲しいってこと?」
思春期の女子か!と続けながら頬杖をつくと、「思春期みたいな付き合いしかしてないくせに」と。
言い返すに言い返せない。痛いところを突かれてしまった。歯噛みしているうちに、調子が出てきた友人は畳み掛ける。
「好きは女子って書くし」
ちょっとだけ名言っぽい。
友人の指摘の底に気遣いがあるのが分かるため、私としても否定しづらく、その後しばらく「いかに後悔させる女になるか」の講義を受けた。

恥とは何か。私は「恋愛ごとでショックを受ける」のがいやなのだ

ただ、気持ちはありがたかったものの、いまだに別れ話へ「仕方ない」以外でなんと返せば良いのか思いつかない。
逃げるは恥だが役に立つ、とはよく言ったものだ。
友人からは「傷つかないよう保険をかけているのでは」「復縁が面倒だから逃げているのでは」と勘繰られた。おそらく正解なのだと思う。けれど、そういう性分なのだからそれこそ「仕方がない」。
実際、保険をかけることで傷つかずに済んでいる。役に立っているのだ。

では、この場合の恥とは何に当たるのだろうか。元はハンガリーのことわざで「自分の戦う場所を選ぶ」という意味があると、何かで読んだことがある。
つまり、恥とは自身の不得意な場所や状況である。話を戻すと、私は「恋愛ごとでショックを受ける」のがいやなのだ。

「ショックを受けさせてしまったのでは」と引きずるのがいや

そして、同じくらい「ショックを受けさせてしまったのでは」と引きずるのがいやだ。終わったことへ気をやり、コマ送りのように相手を考えてしまうのがいやだ。
だからこそ、毎度振られているのかもしれない。
恋が始まらない理由は、恋愛が私の戦う場所でないからなのだ。

なんて格好つけてはみたものの、つい先ほどドラマで共演した二人の結婚が報道された。
逃げるは恥だが役に立つ。ハンガリーでこの言葉を告げた先人へ想いを馳せつつ数回唱えてみたものの、これだけは言わせてほしい。
……正直、羨ましい。