生理そのものはほとんどの女性が経験して、悩み、苦しむことが大半かと思う。

しかし、私が生理での痛みで苦しんでいると、祖母は「そんなものなかったわ」と一言。その言葉に驚愕して、「なぜ?」の疑問を持ったのは成人前のこと。体のことと向き合う大きなきっかけがあった。

高校で中国舞踊の部活に入り、炭水化物を制限する食事を続けていた

私は小学校の高学年で初潮がきた。最初の頃は生理での痛みはなくて、せいぜい貧血っぽいだるさが出てた程度だと記憶している。

それが中学に上がり、身長の伸びが止まるようになったぐらいで、痛みが顕著になってきた。小学生の初潮がきたばかりの頃は毎回ドキドキしてたが、慣れてきた中学生では生理そのものがとにかく面倒くさくて、熱い季節はナプキンはムレるし、寒い時期はお腹の鈍痛が増して「いい事なんて一個もない!」と、厄介者扱いしていた。

高校生になって、最初の秋。私は一気に太り「やばい」と焦り、冬休みにダイエットに取り組むことにした。炭水化物を抜くダイエットは一気に体重が落ちて、春には自分の中ではちょうどいい体になり、自然とポジティブに新しい事に挑戦する意欲が高まっていた。

そこである部活に入った。バレエほどではないが、スタイルを気にする人が多い中国舞踊の部活で、細身で色白で体が柔らかいことが基本でもあるような部活だった。年頃の女の子はスタイルを気にする傾向があるが、中でも私は周囲からストイックだと言われていた。せっかく痩せた体型を保つために、炭水化物を制限する食事を続けていたのだ。

気がつくと「生理」が来なくなっていたが、楽だからと軽く流していた

そして、その年の夏前、気がつくと生理が来なくなっていた。いつから? と少し気にしながらも「ないと楽だからいいや」と軽く流して部活に夢中になり、毎日を過ごしていた。厄介者扱いしていた生理がないと、毎回怯えていたお腹の痛みや出血を気にしなくて済むすし、とても快適だったからだ。

秋になり、部員同士でお昼を食べながらの会話の中で「生理今ないんだ、超楽~」と言ったら「それ、よくないよ」と先輩が諭してくれた。私はハッとした。生理は女性の体には当たり前で、女性の象徴のようなもの。たった一言で、それを目の当たりにしたのだ。「そうか、よくないのか」とやっと我に返り、母に相談して一緒に病院に行ってもらった。

薬を処方してもらったらすぐに生理が始まり、周期の波や多少の薬の副作用はあったが、月一のものは滞りなく訪れるようになってくれた。しかし、同時に生理痛が増した。私は一年近く、自分の体と間違った向き合い方をしてしまい、その代償として辛い痛みを抱えることになってしまった。

生理不順は成長期によくあるから、きちんと対処法を教えてほしかった

年齢を重ねて行くうちに、「このままではいけないと」一念発起。成人になる頃から自分なりに体、生理のことを学んだ。生理の成り立ち、歴史、多種多様な対処方法があるのだと知っていく中で、自分の体と性格にマッチしたものを手探りで探していき、三十路間近の今では薬を飲まなくても生理周期を過ごせるように付き合い方がわかってきた。

生理用品といったら一般的には紙ナプキン、タンポンが主流だろうが、私は大学生から布ナプキンを主に使っている。ゴミが出ないのでエコで長期でみればコストをカットできるし、自分の血液量の把握も洗いながらできるから体のリズミを掴みやすくなった気がする。最近は経血カップというものも出てきて、上手く使えば漏れの心配も減るし、洗濯の手間もほとんどなくなるので興味がある。こんなふうに生理事情も刻一刻と変化しているようだ。

生理痛の原因は多岐にわたるが、私の痛みの原因は一番は体を労らない食生活だったと思う。祖母達の世代と比べたら体を冷やす食材が多い、洋風化した食生活が現代の日本だ。脂質、糖質、季節外の果物と野菜の食生活は、日本人の体にはとても負荷がかかるもので、現代女性はその影響で生理痛が増しているようでもある(あくまで一説として)。

生理が止まることは成長期ならよくあることで、ちょっとしたストレスや過度な運動でも起こりうるものだが、問題が発生した時にどう対処したらいいかを、少なくとも私の世代はあまり詳しく教えてもらった事はない気がする。日本は体について学べる場がとても少ないことも、教育の穴として見直しが必要ではないかと個人的には思う。

日本は性に関する話をとてもタブー視する傾向が強い国で、何か困っても誰かに相談することを戸惑う人も少なくないだろう。それにはルーツが存在する。遥か昔の日本では、女性の生理、血を“不浄”と捉えていた思想があり、男性は女性を差別し、女性に触らせない物があったり(代表として鉄とか)、生理期間を村外れの小屋に隔離するような風習があったぐらいだ。一説では女性を静かに休ませ為のような記述もあったが、似たような風習は世界各地にも存在した。

では現代はどうかというと、日本は義務教育の後半でほんの少し性に関する授業を行う程度ではないかと思う(私はそう記憶している)。一方、海外では小学校の低学年ぐらいから男女一緒に性教育をする国もあり、その内容の濃さも日本の比ではないようで、時代と共に変化していった価値観や文化的な違いも教育に大きな差を生み出しているようだ。とはいえ、生理はとても繊細で奥が深い話題なので本来なら学校だけではなく、家庭で子どもとそういった事を話す家庭内教育で知識を育てていくのが理想かもしれない。しかし、現代の親世代で恥ずかしがらずに、正しく生理の話をできる大人はどのぐらいいるだろうか。

仕事関係とプライベートでここ数年は性について考えたり、勉強する機会が増えて、自分の生理についてもよく振り返ることがある。あの時の自分を全て否定するのは酷だが、やはりもう少し生理への知識と理解があったら、変化していた行動もあったのではないかと思う。日本の性教育の見直し、社会的な生理への理解が今後ますます広まれば…と願うばかりだ。