「生理なんてこなくていい」私はそう思っている。

小さいときに、母親には「生理はね、赤ちゃんが産めるようになった証拠なんだよ」と教えられていた。そして、私が初潮をむかえたとき母親は「おめでとう」とも言った。当時、私は嬉しかった。大人な女性になれた気がした。

高校生の頃まで、生理は「大人の女性の証拠」と誇らしく感じていた

私が初潮をむかえたのは小学校5年生のときで、早熟な友人はすでに“大人な女性”になっており、自分だけが置いていかれたような気分だったからだ。やっと追いついた。下着についた赤い血も、私にとっては勲章だったのである。

生理に関してこんな表現もある。初潮をむかえた子どもに、母親が「赤飯を炊こう」と言うのだ。そのくらい、本来親と子、ともども嬉しい出来事である“はず”なのである。

高校生の頃まで、小学生の自分に負けないくらいには、私は生理を誇らしく感じていた。女性だけに起こりうるそれを、なぜだろう“一種の色気”みたいに感じていたのである。

友人にも怪訝な顔をされたことがある。「生理の期間ってすごくフェロモンが出てそうじゃない」と言っていたが、今では笑い話である。

女性だけが生理に対して「不安」を抱えなければいけないのだろう?

雲行きが変わったのが大学生のときだ。私には、とても大切な人ができた。あとはもう想像がつくだろう。“生理がこない”という不安を抱えることが出てきたのである。

女性であれば、一度は抱えたことがある不安だと思う。友人に「大丈夫だよ」と言ってもらって安心する。安心も束の間、一人になると不安になり、某お悩み投稿サイトで同じような悩みを見つけては、また安心する。情緒のジェットコースター。

ここを発端として私の生理に対する考え方が変わったように思う。「どうして女性だけが不安を抱えなければならないのか」私はもう、「フェロモン」なんて悠長なことは言えなくなっていたのだ。

そして、私は今「生理なんてこなくていい」そう思っている。私は現在26歳で、結婚している友人も増えてきた。結婚はしていなくとも、将来を考えた彼がいる友人もいて、とても幸せそうに見える。

私はというと、日々仕事をして、帰って寝る生活である。他人と比較すること自体ナンセンスだと人はいうが、私も人並みの幸せを求めたい。“自分にはないもの”について、考えてしまうことがあるのだ。

結婚や出産が叶いそうにないから、今は生理は必要ないと思ってしまう

将来は結婚もしたいし、子どもも欲しい。けれど、今は叶いそうにない。いつ叶うのか。そう自問自答が始まったときに、「私に子どもを産む機能は必要ない」と思ってしまうのである。

月に1週間、頭痛や腰痛を抱えなくてはならない。誰のため? 何のためなのだろう。必要のない機能に体力が奪われる意味が分からない。

しかし一方で、私も完全に希望を捨てたわけではなかった。私にも将来を考えられる彼ができ、結婚を視野に入れ始めたら、生理がくる体に感謝するときが来るのかもしれないな。そうしたら、今の感情も笑い話だな。

結局、“生理”に対しての意味づけをするのは自分自身なのかな、と思った。小学生のときの自分に、「そうだね、生理は女性の勲章だね」、高校生のときの自分に、「うんうん、フェロモン出てるよ」、大学生のときの自分に、「もう不安にならなくていいよ」と伝えてあげたい。今、生理は必要ないが、そう伝えられる自分になりたいなと心底思う。