私の両親はどうもお金に弱いタイプで、幼少時から常にお金に困っていた。「お金・親・約束」というキーワードで記憶を掘り起こすと、様々なエピソードが思い出される。
典型的なものはお年玉だろう。
幼少時にもらったお年玉を「お母さんが預かっておくから」と言って自分の懐に入れてしまうアレである。お金の管理が自分である程度できるようになる中学生くらいまでのお年玉は、そうやってどこかに消えて行ってしまった。
これは微笑ましいに分類されるエピソードかもしれないが、最も強烈な記憶はとても微笑ましいとは言えず、それは「家族旅行が実は心中するためのものだった」というものである。
初めての家族旅行で撮った家族写真。「また行こうね」
お金に弱い父と母のもとで育った私は、当然ながら日々の生活も質素で、学校の長期休暇の旅行などもほとんど行ったことがないままに過ごしていた。
それが小学校高学年のある日、両親が「2泊3日で旅行に行こう」と言い始めた。子供だった私はそれを聞いて無邪気に喜び、当日もウキウキで旅行に出掛けた。
移動手段も乗ったことがなかった新幹線、行先は有名テーマパーク、宿泊先はテーマパークすぐそばの提携のホテル、テーマパーク内では何でも買ってくれた。本当に楽しかった。
今思えば日々食べるお米にも困る貧困具合なのに、泊りがけの旅行に行くなんてどう考えてもお金の出どころがないのだが、子供で何も分からない当時の私は、無邪気に初めての旅行を楽しんでいた。
旅行から帰ると、テーマパークの写真店で撮影してもらった家族写真が家の玄関に飾られた。家族全員が笑顔で写っていて、「また行こうね」このように話した記憶がある。
あの家族旅行は、家の全財産をはたいて出掛けたものだった
それから数年が経過し、私は高校生になっていた。
相変わらず両親はお金に弱いため、家族は質素な生活を送っていた。時間も経ったし、思春期と反抗期を迎えた私は小学校時代の家族旅行のこと、そこで撮影して玄関に飾り続けてい
る家族写真のことなど完全に忘れていた。
祖父の家に遊びに行ったある日、祖父に「話がある」と言われ、そこで初めて家族旅行のことを聞いた。
あの家族旅行は、家の全財産をはたいて出掛けたものだったこと、お金を使い切り、家族の楽しい思い出を最後に作ったら、帰宅途中に全員で心中してしまおうという意図があったのだと聞かされた。
出掛ける前にこのような宣言を祖父母にしており、当然祖父母は止めたものの、旅行に出掛けたため、旅行中も電話をかけて両親を説得したそうだ。
私が親のようにお金で苦労する人生を送ってほしくないから、反面教師にするために、私がある程度大きくなったら、祖父は真実を伝えようと思っていたらしい。
あのとき無邪気に楽しんでいた私は何だったのだろう
真相を聞いて帰宅し、数年ぶりに玄関の家族写真に目をやると、色んな感情が溢れてその場で泣いた。
数時間後に死ぬかもしれないのに、あのとき無邪気に楽しんでいた私は何だったのだろう。この家族写真に写っている両親は、どんな気持ちでこの写真を撮ったのだろう。
祖父は私のためだと話してくれたけれど、私はこの真実を知ったほうが良かったのか、知らずに生きていた方が良かったのか。とにかく家族旅行の記憶は完全に楽しいものではなくなり、両親からの裏切りの記憶に変わった。
さらにそれから時が経ち、祖父母は亡くなり、私も結婚して家を出た。
実家の玄関には未だにあの家族写真が飾ってある。年に1度ほどしか帰らないけれど、帰ると写真が目に入り、私の胸を刺す。
その痛みを感じる度、「両親は未だに私が真実を知っているとは知らない。もし私が祖父から真実を聞いていると知ったら、両親はどう思うのかな。真実を知らないふりをし続ける私もまた、両親を裏切っているのかな」。
このように感じるのである。