「生理でもハッピー」という言葉がある。小林製薬「命の母ホワイト」のCMでのセリフだ。
聞き馴染みのある言葉に、本来の意味を勘違いしている人もいるのではないだろうか。これは、間違っても、「生理中も楽しく過ごせてます!」といったマウンティングではない。
各々が抱える闇と向き合い、快適に過ごす工夫をこらし、努力を惜しまず闘い続けたものだけが勝ち得る「ハッピー」なのである。

16年を超えた生理との関係。大人の女性デビューは嬉しくなかった

私は今、生理との付き合いが16年を超えた。ときには喧嘩し、ときには和解しかけて、自分なりのハッピーを見つけている最中である。
私に「アレ」が来るようになったのは、小学5年生のときだ。
家族でファミリーレストランへ出かけたとき、食後にトイレに行くと見慣れない赤が下着に染み付いていた。腹痛もなければ、染みが広がってもいなかったので、家に帰ってから親に報告した。

下着を確認してもらい、これが「アレ」であることを教わった。ナプキンの付け方や捨て方も一通り教わり、私は晴れて「大人の女性デビュー」をしたのである。

ちょうど同じころ、保健の授業で「生理は、女性の体が妊娠の準備をしているから起こるもの」だと教わった。女子生徒だけが教室に残り、男子生徒はドッジボールをしに校庭に飛び出していったあの瞬間、「私の体は赤ちゃんを産むためにあるものなんだ」と知った。

正直、嬉しくもなんともなかった。「大人の女性」と言っても所詮、陰部から血が出ているだけだ。妊娠なんて想像できる年齢ではないし、自分の体に何が起きているのかよくわからず、さほど興味もなかった。

中学生から生理との関係が急変。耐えられない痛みはただの刑罰だ

ただ、友人は「アレ」に興味があるらしい。
事実、友人同士で「アレがもう来たか」のやり取りをしているのをよく耳にした。
ただ、誰もクラスメイト皆の前で大っぴらに話題にあげることはしなかった。

男子生徒には知られてはいけない、という女子生徒の中での無言の圧力が、確かにそこにはあったのだ。
休み時間にコソコソと大きめなポーチを持っていき、音を立てないように取り替え、綺麗に包んで黒い袋の中へ捨て、皆の前では「アレ」と呼ぶ。
生理とは、隠さなくてはいけない恥ずかしいものなんだ、と意識が芽生えた。

中学生のころ、「アレ」の様子が急変した。5年生からの2年間、「ちょっとお邪魔します」と言わんばかりに慎ましく現れていたはずが、中学生になると「邪魔すんでえ」とズカズカと土足で上がり込み、私の中をめちゃくちゃにしてくるのだ。

「アレ」にも反抗期があるのか、なんて穏やかなことを言っている余裕はない。
耐えられない痛みに泣き叫び、痛みが緩和するツボを押し続けてアザを作った。妊娠するかも、そもそも将来子どもを欲しいと思うかもわからない私にとって、それはただの刑罰だった。重い、重い罰。

そんな私を見かねた親は、私に漢方薬を飲ませてくれることになった。
体を温め、痛みを緩和してくれるというのだ。漢方薬なんて、おばあちゃんになってから飲むものだと思っていた。私は15歳にして、「早すぎる漢方薬デビュー」まで果たすこととなる。

お弁当の時間が終わり、皆が購買へお菓子を買いに走り出すころ、私は1人机にオブラートを広げる。クラスでただ1人の異様な光景だった。それでも、泣き叫ぶ痛みを改善してくれるのなら、と毎日苦い粉を薄い乳白色の紙に包んで流し込む。

女性たちは各々のやり方で生理に対してファイティングポーズをとる

毎日、毎食後、漢方薬を飲むことがすっかり習慣化した私は、「アレ」の痛みにだいぶ耐えられるようになっていた。少なくとも、痛みの対価としてアザを作ることはもうなかった。
時が流れて、2021年6月。27歳になった私は、漢方薬を飲まずとも、少しの痛み止めで普段どおりの生活をこなせるようになっている。

「アレ」とも呼ばず、「生理」と呼び、今こうして人にも自分の体験を伝えられるようになった。
これから先、痛み止めを手放せるようになるまで、私はあらゆる方法で生理と向き合い続けるつもりだ。いつか心から、「生理中でもハッピーです!」と屈託のない笑顔で笑ってみたい。

ただ、その道のりはずいぶん長いように思える。生理の悩みは、痛みだけに限ったことではないからだ。

生理期間前後に起こるPMS、生理用品や痛み止め、サプリメントなどにかかる膨大な費用、(私が服用していた漢方は毎月1万円を超えていた)など、解決しなければならない問題は山積みなのだ。

ところで、今あなたの前で笑顔を振り振りまく女性は、初めからキラキラ余裕の笑顔を見せていたのだろうか。恐らく、生理の痛みを飼い慣らし、自分に合う方法を何年も模索し続けた結果の、笑顔である。

女性たちは、各々のやり方で生理に対してファインティングポーズをとっている。
永遠に続く闘いに白旗をあげることなく立ち向かい続ける女性を、どうか応援してほしい。
そして願わくば、少しでも生理中にハッピーになれる取り組みを、社会全体で起こしてもらえないだろうか。

私が痛みを乗り越えた末に産まれてくる子どもが、同じ思いをしなくて済むように。