女性らしさが邪魔だった消防の現場。メイクで切り替わる「私は女性」

メイク、つまり、日本語に訳すと「化粧」。化粧とは、まさに「化ける」ための手段そのものだと思う。美しくなりたい、と思う女性の望みを叶えてくれる魔法のようなものだとも思う。
たしかに、メイク次第で印象を大きく変えることが出来るのも事実だ。
と同時に、女性らしさとは何かとも思う。美しく、きれいでいることに越したことはないし、何より、自分に自信が持てるようになる。内面はたいして変わらないけど、外面の印象は大切だというのもまた事実。あるいは、外面が内面を変えるひとつのきっかけになるとも思う。
私の職業は消防職員。最初に消防学校に入って、男女関係なく訓練や教育を受ける場であるが、そこでは何よりもまず、「女性」であることを必要とされない。
むしろ「男女関係なく」教育を受けるのであるから、「女性らしさ」はむしろ邪魔であった。
髪はショートヘア。化粧なんてするはずがない。汗を大量にかき、泥にまみれ、化粧品すらしばらくの間、使わない日々だった。消防学校を無事に卒業した自分は、もはや普通の女性の感覚が消えていた。
もちろん、仕事ではそれで良いのだが、それはあくまで仕事の中だけだ。
不器用な私は、そういう自分が仕事の外ではあまり良く思われないという事実に気付くまでにだいぶ時間がかかった。そう、女性らしさがないからだ。
女性の社会進出が進み、かつては男性しかいなかった職業にも女性が採用されるようになり、女性の割合を数値目標とかで出している。
世間的には「輝く女性」として取り上げられるが、やはり男性中心の世界に女性が飛び込んでいくということは、表に映し出されるよりはるかにたくさんの苦労があると思う。
女性であることが邪魔をする部分と、なぜか女性らしさを求められる部分。女性のくせにと言われたり、しかし仕事柄染みついた男性的な部分が日常のふとした場面で出てしまったり。
「男性に負けない」という言葉はいつの間にか自分にとって、目標から陳腐な言葉へと変わっていた。
メイクをすることで、私自身は自分が「女性」であることを自分自身で認識する手段の1つとしている。それは、女性に与えられた特権の1つだと思うからだ。
と同時に、着飾っている自分を演じるための心のスイッチの1つとしても使っている。
化粧をすることで、本来の自分を覆い隠して表面上の良く見られた部分だけを見てもらう。
そうすることで、心にもないことであっても、波風を立てないためには自分を押し殺して、相手に合わせることだって、不思議と出来る。素の自分を遠くに置いて。
化粧には様々な力がおそらく宿っているのだと思う。きれいに見られたいという欲望を叶えてくれる無数のアイテム。それをうまく合わせて使っていくことで、私はいくつもの顔を演じることが出来るようになった。
本当の自分を見られないというのは、楽でもあり、苦でもある。家ではペットボトルを平気でラッパ飲みするが、化粧をして綺麗に着飾っている状態でそんなことは出来ない。化粧はきっと、女性を女性にさせるために必要なものなのであろう。
少なくとも、それで良いのかもしれないが、本当の自分が分からなくなる苦しみもきっと隠れているということを忘れてはいけないと思う。
張りつめてばかりの中ではいつか限界がやってくる。その時に受け入れてもらえる場所があれば良いが、糸が切れてはじめて頑張りすぎていた自分に気付くことも少なくない。
女性の社会進出だとか、輝く女性だとか、世間的に言われているほど、現実は美しいものばかりではない。
メイクを通して、こんなに深く考えてもどうしようもないのだが、逆にこんなことを考えさせられるから、それもまた面白い。
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