初潮は少し早めの小学4年生のときだった。
初めての出来事に驚く私に、母親は「これは生理よ、学校で習ったでしょ。将来『赤ちゃんを迎える準備』なの」。そう言って赤飯を炊いてくれた。
これが先生が言っていた生理なのか。
赤飯を炊くということはめでたいことなのか、と思ったのを覚えている。

小学生ながらに「赤ちゃんを迎える準備」が始まったのが嬉しかった

初潮以降、自分の身体の変化によく気付くようになった。
大人の女性になっていく自分の身体に誇らしいような恥ずかしいような、なんともいえない気分だった。
ただ、小学生ながらに年下の子の世話をするのが好きだった私は、母親の言う「赤ちゃんを迎える準備」が自分にも始まったのが嬉しかった。
いつか自分も赤ちゃんを産んで大切に育てていけるのだと思うと、大人になるのが楽しみだった。

そんな嬉しいもの、めでたいものであった生理は、年々生理痛が重くなっていくに連れてつらいもの、嫌なものに変わっていった。
それでも「赤ちゃんを迎える準備」なのだと自分に言い聞かせて毎月の生理を乗り越えてきた。

20代後半になり、結婚も決まった。
こんなに生理痛がひどいと将来不妊症につながらないだろうか、また生理痛が少しでも軽くなればという思いで不妊治療専門のクリニックを受診した。

その結果、両側卵管閉塞、重度の多嚢胞性卵巣症候群、高プロラクチン血症、子宮筋腫と診断された。
不妊治療をしなければ自然妊娠はほぼ不可能だった。

私の心も赤ちゃんを迎える準備ができていなかったのかもしれない

不妊治療が始まると、生理はつらくて嫌なものから怖いものに変わった。
毎月生理予定日近くになると落ち着かず何度も下着を確認し、妊娠していないとわかると毎月泣いて落ち込んだ。妊娠できないならもう消えてしまいたいと思った。

「赤ちゃんを迎える準備」なんて私の身体は全然できていなかった。
今までつらい生理痛を乗り越えてこれたのは、未来の赤ちゃんに会うという夢があったからだったのに。もう、毎日がつらかった。

そんなとき、ある有名人の言葉を目にした。
「きっと私たちのところに赤ちゃんがきてくれると信じています」
ありふれた言葉だった。
でも、そのときの私にははっとさせられる言葉だった。
私は、赤ちゃんを信じられていなかった。なんとなく今月もダメだろうと毎月思っていた。
ああ、「赤ちゃんを迎える準備」ができていないのは私の心もだったのかもしれない。

こんなに毎月の生理に怯えていたら、出産や育児なんてきっと乗り越えることができない。
妊娠が目標ではない。そこから私は母親にならなければならないのだと改めて考えさせられた。
まずは私が変わろうと決意した。

小学4年生から始まった身体の準備。やっと心の準備もできた気がする

今でも、生理がくると落ち込む。でも、そんな自分を客観的に見つめている自分もいるようになった。
大丈夫。これは身体の「赤ちゃんを迎える準備」だったんだ。私の心もいつ赤ちゃんが来てくれても大丈夫なように準備していくからね。

とにかく心に余裕を持つようにした。何があってもどんと構えていられるような母親になれるように。
時々つらくなってしまうこともあるが、女性ホルモンの治療の影響だからと思いこむことで、そんな自分も受け入れられるようになった。

小学4年生から始まった身体の準備。今やっと心の準備もできてきた気がする。
いつか私たちのところに来てくれる赤ちゃんを信じて。