コロナ禍の恋愛。
それは、恋愛に関して、何もかも不器用な私にとっては試練でしかなかった。いや、正確に言えば、試練でしかない。
コロナ禍で人肌恋しくなる日々。恋愛アプリに手を出した
人に甘えるのが苦手。基本的に異性に興味が沸かない。
恋愛って何のためにするのか。自分の生活を充実させるために恋愛はしないといけないのか。恋愛をしているって、他人に自慢したいだけじゃないのか。
コロナ前の私はおそらくそんなことを考えていたと思う。常に強気。1人でいることこそ誇らしげだった。たぶん。
しかし、コロナになって世界は一変する。なぜか、人肌恋しくなる日々。今までの価値観がいつの間にか変わっていた。
いや、変わらざるを得なくなったのだろう。誰かに寄り添っていたい。寄り添ってほしい。誰でも良いわけではないけど、とにかく1人は果てしなく孤独。
そんな私はおそらく一番手っ取り早い恋愛アプリに手を出した。
次から次へと多くの男性がインストールしたアプリの向こう側に存在する。想像以上にいとも簡単にメッセージのやり取りさえ出来てしまう。
相手のことが好きとかそういう感情よりも、刺激のない日々にうんざりしていたのだろう、とにかくスマホを開くたびにアプリを確認しては、相手からのいいねやメッセージを四六時中確認していた。
コロナ禍の恋愛は、寂しさをごまかすための単なる行動だった
そのうち何人かと実際に会い、私は孤独でいる時間を必死で埋めた。
本当に相手のことが好きという感情なんてないくせに。きっと恋愛とかそういうのじゃなくて、単に何かを頑張っていないと自分が自分でなくなりそうだったのだろう。
相手のことを好きになりたいとは思ったが、相手から自分に対して好きだという感情が伝わってくることは一瞬もなかった。
そんな相手に一方的に恋愛感情を抱くのは、簡単に弱音を吐けない異常なプライドの高さの持ち主である自分がつまりは負けたということであり、私自身が許さなかった。
コロナ禍の恋愛。それは、恋愛ではなかったということだ。寂しさをどうにかしてごまかそうとした先にあった、単なる行動。
何となくで多くの人々とすれ違ってきた当たり前の日常から、自分が好きという感情を持てる相手がいないということの悲しみと直面せざるを得ない現実。
好きな人がいるということは、どんなに幸せで満たされることなのだろう。今、好きな人がいない自分にとっては、本当にうらやましいとしか言えない。
とはいえ、愛に飢えているとは、そんなに易々と言葉に出来るものではない。というところが自分自身の凝り固まったプライドなのかもしれない。
相変わらずちょっとだけ強気でいたいが、それも結構疲れた。
恋愛をしたいという自分に、蓋をしたくない
このまま硬直した日々がこの先も続いていくのかと思ったら、私はもう、コロナ禍を生きていく苦しみしか感じることが出来ない。
そう思い、勇気に勇気を振り絞って、私は結婚相談所に一歩、足を進めた。
行動せずして何も得るものなし。もちろん、うまくいくなんて保証はどこにもない。
でも、これまでの人生を振り返って、行動した先の後悔はそれほどにはない。道は自分で開いていかねばならない。
何を隠そう、私はこのエッセイを投稿するようになり、自分が今一番何をしたいのか、何を求めているのかを客観的に見られるようになったのだ。
そしたら、結婚相談所に行くという、これまであまりに高いと思っていたハードルを、今こそ踏み出さねばという気持ちに刈りたてられるようになった。
きっとこれからも自分の弱点や否に向き合わないといけない時がやってくる。
しかし、「恋愛」をしたいという、生きる中で活力を求める行動をしないと、そんな自分には蓋をするまま生きることになる。
凪の生活のような無風より、時には逆風こそ、きっと私は頑張れるのではないだろうか。
そう信じて、私は新しいスカートを今日、買いに行く。